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22.11.26 栃木県鹿沼市 |
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●石山のある風景・・・石山に関係するメモ
■省三のふるさと案内記 安野静治著
千葉省三のふるさと作品・・・
千葉省三は、明治25年栃木県河内郡篠井村(現在は宇都宮市)の母の実家で、父亀五郎・母はまの長男として生まれた。父は小学校の教師であった。省三が二歳のとき、父は上都賀郡今市町(現在は今市市)の吉沢尋常小学校校長に転任、省三一家も校長住宅に移転した。
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明治32年省三が三年生のとき、父は上都賀郡南押原村楡木(現在は鹿沼市楡木町)の楡木尋常小学校長に転任、省三も同校に転校した。省三は上京するまでの15年間(宇都宮中学校時代の宇都宮市の下宿も含む)を楡木で過ごした。省三は大正9年から昭和12年にかけて子どものための作品を数多く書いている。
◎作品・・・『鷹の巣とり』=ダイシャクボウ(塩山町)
国道293号線の大門宿信号機から右へ粟野町に向かって進むと、東武日光線の踏み切りがある。ここから1.5キロメートルほど進んだ右側の山麓の窪地に小さな集落がある。ここが大社久保である。この山は採石をしたことがあり、石山と呼ばれている。そこの石段を上がって鳥居をくぐると小さなお宮がある。
さらに、急な勾配の雑木山を登ると、三角点のある頂上に着く。ここには、根元から三本に分かれた杉の木が立っている。昔は関東平野の眺望がよく、近くの学校の遠足の場所であった。省三も子供のころ、母ときのことりにきている。ここを少し下がると弘法大師が十六羅漢を彫刻したといわれる姥母石(うばいし)がある。
このあたりが、省三の代表作『鷹の巣とり』の舞台である。ぼたん杉はないが、小鳥のさえずりがよく聞こえる。この作品は、小学校の国語の教科書に掲載されているので、広く知られている。高い木から落ちた三ちゃんへのみんなの心配が「アッチー」と明るい笑い声に変わっていく。温かい友情をユーモラスに描いた傑作。方言の会話も巧みに駆使している。
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この作品は教科書にあるので、全国の小学校や図書館から質問を受ける。ダイシャクボウとぼたん杉について説明する。ダイシャクボウとは地名である。石山の南麓の窪地に、大昔大蛇が潜伏していて、人畜に害を与えたところから大蛇が窪と呼ばれていた。また、あるとき、弘法大師が訪れて、姥母石に十六羅漢の仏像を彫刻したことから大師が窪と呼ばれるようになったという。これらのことがなまってダイシャクボウになったといわれている。
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この石山には、姥母石の他に大師の硯石、空海の洗水池、空海の座石など弘法大師にまつわる伝説が多い。明治9年大社久保と改称されたというが、作品のダイシャクボウは大社久保にある石山をさしている。ぼたん杉という種類の杉はない。こんもりと茂った杉のことである。
■北押原地区コミュニティ推進協議会が作成した「北押原のさとめぐり・・・ふるさと史跡マップ」を参考・・・
2.大社久保 だいしゃくぼ
石山の南麓に窪地があり、昔ここに大蛇がいて人々を困らせたので「大蛇が窪」とよばれ、また弘法大師の伝説とともに「大師が窪」とも呼ばれていました。明治9年(1876)に「大社久保」と改称したといわれています。
3.三峰桜(みつみねざくら)
大社久保の旧道の小高い所に桜の古木があり、幹が三つに分かれて、それぞれの幹に別の花が咲き、初めに山桜、次に毬桜、次に初めの山桜の花の散る頃咲くという珍しい桜で「三峰桜」と言われています。根元には延宝6年(1678)と刻まれた自然石の碑があります。
7.大師の硯石(たいしのすずりいし)
石山の山腹に「硯石」と呼ばれる硯の形に似た石があり、空海が加持祈祷を行った跡といわれ、硯石に溜まった水は、どんな日照りのときでも涸れることがないといわれる不思議な石です。また東麓には祖父石・祖母石・孫石という三つの石がありますが、その由来はわかりません。また東麓には第2次大戦のとき、軍需工場建設のために壕が掘られましたが、終戦と共に中止となりました。
8.空海の洗水池跡(くうかいのせんすいいけあと)
「地蔵尊」の近くには小さい池があり、空海がここで沐浴をしたと伝えられ、日照り続きのとき、ここで雨乞いをすれば、雨が降るといわれていました。この付近は湧水が多い所ですが、粟野街道工事のときに造成されて、昔の面影はなくなりました。洗水池は泉水池のことでしょう。
9.空海の座石・姥母石(くうかいのざいし・うばいし)
石山の頂上は眺望がよく、男体山・古賀志山・筑波山などを見渡すことができ、ここに高さ約9m、周囲約23mの大石があり、「空海の座石」とか「姥母石」とかいわれています。その由来は、昔、この石山の近くの家に、生まれて間もなく両親を失った赤子が、祖父母に育てられることになりましたが、母乳がなく困り果てていたところ、たまたま通り掛かりの婦人がこの子を哀れに思い、この家に滞在し、姥母としてこの子を育てることになりました。しかしこの子の成長を見届けるや、姥母が突然姿を晦(くら)ましてしまいました。その後、この子が姥母を忘れられず、その厚恩に報いるために、たまたまこの地を訪れた高僧の空海にそのことを話し、石山の頂の石に仏像の彫刻を懇願したところ、空海はその孝心の深さに感じ、その石の周囲に16体の羅漢の仏像を彫刻し、石の上で護摩祈祷を行ったという言い伝えがあります。その他、山麓には日限地蔵尊(首なし地蔵)、虚空蔵、天神宮などがあり、昔から霊場として信仰された所です。石山は千葉省三の童話作品「鷹の巣とり」の舞台にもなっている所です。
※石山は登り15分、下り5分。昔、近くの小学校では遠足のコースだったそうです。頂上に姥母石があることから信仰の山のような気がします。 |
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