■説明板・・・
●将軍桜(しょうぐんざくら)
奈良・平安時代の古代路・東山道がここを通っていました。都と東北地方を結ぶ官道(かんどう:国道)です。急変があると早馬(はやうま)でこの道を駆け抜けて次の駅に伝えます。そのため20kmおきに馬を常備した駅(えきのうまや)がおかれました。新田(にいた)駅もこの近くの竹橋(柿木沢)にあったようです。都からは奥州遠征の将軍や軍隊が進み、ここからは九州に行く防人(さきもり)たちが別れを惜しみながら旅立ちました。鎌倉時代すぎは別な道路がいくつもでき、東山道はいつの間にか消滅してしまいました。ここには将軍道(しょうぐんみち)と伝えられた古い道が残っており、そこを発掘してみると道幅が6mもある立派な東山道筋とわかりました。その将軍道の名残をとどめる桜があります。ずっと昔、山桜の大木があり、それから何代目かの桜に植え替えられたということです。 |