■説明板・・・
●大日堂の由来と獅子舞
両部山大日堂は、大日如来を本尊とする。本尊は、はじめ越後新発田にあったが、溝口氏が寛永13年(1636)、日光東照宮造営のみぎり、獅子頭とともに日光中禅寺大日堂に奉納した。その後山内の内紛により寺堂の守護も衰え、荒廃に及んだため、これを憂いた時の大日堂住職良念法印は、本尊と獅子頭を奉持して日光をあとにし、日光開山勝道上人の故郷芳賀高岡へ向かう途中、真岡の里で休息した。これを聞いた中郷の宝性院胎蔵寺の智善和尚は、良念に請うじ、この地に大日堂を建立して、良念が奉持した大日如来を本尊として祭った。万治元年(1658)春のことであった。
本尊供護の獅子頭は、大日三昧耶形(だいにちざんまいやぎょう)の中、特に除障の功力広大で、悪疫難除け(あくえきなんよけ)の獅子として、民庶度生(みんしょどしょう)のために舞を奏した。明治時代までは、遠く県外各地より招聘(しょうへい)され、今でも橋梁の渡り初め、建築の際の地固めなどに近隣町村から招かれて、家運長久、悪魔降伏の舞を舞っている。
獅子舞の流派は、古老の口伝によれば関白流とのことであるが、大日堂別当舜山の秘録によると桃野流とある。獅子舞の形式は、大獅子、中獅子、女獅子の一人立ち三頭の風流獅子舞であり、哀調な笛のメロディーにのって活発に舞う。
大日堂獅子舞は、昭和29年に栃木県の重要文化財に指定された。 |