■説明板・・・
●小井戸の切り通し
小井戸の切り通しは茂木町小井戸の字小萩の東側に沿って南北に開削された隘路。この道は茂木町中心部と町北部の河井や那珂川沿岸地を結ぶ主要路。かつてはこの東側200m、折山を迂回して山越えする難路であった。天保5年(1834)領主細川と家老中村勧農衛は藩の窮状打開のため二宮尊徳に仕法を依頼。翌年から尊徳指導による開発が実施された。天保7年の凶作は見事に克服。しかし、藩主の大阪在番等のため、先生とは疎遠となる。その後は勧農衛の啓発で仕法続行。弘化3年(1846)この小井戸の切り通し開削に挑戦。村民の動員あるも工事は難航した。勧農衛はその年2月10日から3月13日まで14回も廻村し指導に当たった。路は貫通し、交通は容易となり、村民への恩恵は計り知れない。切り通しの中央には弘化3年刻猿田彦塔があり、ここから南東約1kmの能持院には中村勧農衛の墓がたたずむ。 |