■説明板
●大横町の歴史
ここは江戸時代東照宮に奉仕する八乙女が多く住んでいたことから「八乙女横町」と呼ばれていました。1662年(寛文2年)の稲荷町の洪水により流失した火の番屋敷がこの大横町に移された事が「火の番横町」とも呼ばれるようになりました。この時代大横町は大きな活力と賑わいがあったと想像されます。その火の番を命じられたのが「八王子同心」と呼ばれた人々で八王子から日光に交替制で勤めその後約200年もの間火災から社寺を守る大きな功績を残しています。このように大横町は現在では世界遺産となった日光山の社寺を守る基点となった場所なのです。
※花押(文字を書いた方のサインのようなもの) |
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↓日光市役所 日光総合支所 国登録有形文化財指定 |
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↓観音寺のお堂 |
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