■説明板には
板垣退助は、「板垣死すとも自由は死せず」の名言で知られる明治の政治家。明治の初期に自由民権運動を展開し、自由党を結成。土佐(高知)出身。明治元年(1868)戊辰戦争の時、彼は新政府軍の将として、日光廟に立てこもった大鳥圭介らの旧幕府軍を説得し、社寺を兵火から守ったと言われる。その遺徳を讃え昭和4年に建立されたが、最初の像は、第二次大戦中に軍需に徴収された。昭和42年に再建。
彫刻家、新関国臣の作 |
|
|
|
↓日光物産商会 国登録有形文化財 |
|
■説明板・・・ ●天海大僧正(慈眼大師)・・・てんかいだいそうじょう(じげんだいし)銅像 天海は比叡山で天台宗の奥義をきわめた後、徳川家に仕え、日光山の貫主(かんす)となる。当時の日光は、豊臣秀吉に寺領を没収され、荒廃の極にあった。家康が亡くなると天海はその遺言を守り、久能山から遺骨を日光に移して、東照宮の創建に尽くした日光山中興の恩人である。天海は、寛永20年(1643)108歳で大往生した。この銅像は、日光出身の彫刻家、倉沢実の作。 |
|
|
↓取水堰 |
|
|
|
|
|