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●足利市の風景 現 栃木県足利市 |
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鶏足寺 真言宗 19.11.15 |
猪子トンネル・・生不動尊・・小俣町01・・小俣町02・・小俣町03・・小俣町04・・石塔1 小俣町・・石塔2 小俣町・・小俣町05
小俣町06・・浄運寺別院・・ふるさと学習資料館・・春日神社・・石塔 春日神社隣・・お堂 春日神社隣・・五大明王像建物
タブノキ・・鶏足寺・・勅使門 鶏足寺・・サルスベリ 鶏足寺 |
■説明板・・・
●仏手山金剛王院鶏足寺
当山は、開創1200年に及ぶ大本山で釈迦如来を本尊とし、また五大尊(不動明王など)の寺院として天慶(てんぎょう)940年以来著名である。
はじめ天台・真言兼帯の寺院であったが、文永6年(1269)下野薬師寺の長老、慈猛(じみょう)上人を迎え、真言宗慈猛流全国総本寺となり、末流はその数3000といわれ、遠く四国の善通寺までその教線は及んだ。天皇祈願寺として、又、修行道場の基盤を古くからととのえ密教文化の聖地として栄えていたが、天文22年(1553)上杉謙信関東鎮定の折り兵火にかかり勅使門を除く堂舎はみな焼失する。江戸期再建され、やや旧観に復したが10分の1程度の規模に縮小されたのは惜しまれる。現在、不動尊の霊験弘布をめざし正五九の各月参拝者で賑わいをみせている。 |
■説明板・・・
●仏手山金剛王院鶏足寺(ぶっしゅざんこんごうおういんけいそくじ)
大同4年(809)東大寺の定恵上人が世尊寺という寺を建てたのが鶏足寺の始まりです。その後、比叡山の円仁上人(慈覚大師)により寺域が拡大・整備されました。天慶2年、平将門の乱平定に際し、常裕法印は、秀郷の請いをうけ将門調伏の修法を行いました。功により秀郷は将門を倒し、寺も鶏足寺と改められ、寺領をふやし、寺の基礎を不動のものとしました。鎌倉時代文永年間、下野薬師寺の慈猛(じみょう)上人をむかえ真言宗にかわり、慈猛流の全国総本山として山内に24院・48僧坊をもち全国に310余の末寺があったと伝えられています。室町時代天文年間、兵火にかかり寺の堂宇は焼失し、古くからの什宝も多く失われました。今に伝わる次のような文化財に寺の盛時をしのぶことができます。
・・・以下省略・・・
財団法人足利市文化財団 足利市教育委員会 |
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