■説明板・・・
●常円寺 町指定文化財
当寺は、浄土真宗本願寺派(本山西本願寺)に属し、仏光山東照院常円寺という(本尊阿弥陀如来、身丈三尺余)もとは、天台宗にして開基年代は不詳。保元2年(1157)9月、照證法印成善阿闍梨片平字竹之内に再興し、片平城主堅田八郎義隆(那須与一宗隆の兄)の菩提寺となり亡父資隆の法要を行う。(現在、字内の弥惣の娘おとき邪見嫉妬妄執により蛇身と化して人々を惑わし、城主義隆これを鎮めんが為建暦3年(1213)親鸞聖人を招請し法要を営みてこれを教化(現在の飛び地境内のお経塚)し、その功により義隆、親鸞聖人に当寺を寄進し浄土真宗に改め嘉禄2年(1226)11月、現在の地字木之下に寺基を移転し安貞2年(1228)聖人の高弟、高田の覚信房性燈(俗称、佐竹義照)が往持し浄土真宗の開基となる以降歴代住職は血脈相承による。覚信、建長7年(1255)10月28日没後、本願寺2代如信上人及び3代覚如上人いずれも覚信を偲び、お立寄りになる。「真宗の印の樫と聞く時は木樫御法は金剛の信と詠み讃えられた。天正年間(1573)には本願寺と信長との10年余りに至る石山戦争に住職玄性以下門徒衆11名を引率し法難に参戦し帰郷する。寛永14年(1636)には、本堂及び諸堂が火災により全焼し正保2年(1645)に再建、現本堂も明治23年24代竹寿のときの再建による。昭和13年7月4日には、本願寺23代門主勝如上人御下向、御巡教になられ今日に至る。
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