駐車場はない。城跡には入れなかった。別なところから入るのかもしれない。
■説明板・・・
●神田城 国指定文化財
「那須家系」によると首藤権守貞信が、四国讃岐の国神田に住んでいたが、寛治2年(1088)八溝山中にいる岩嶽丸(※下野国にいた怨霊、もしくは怪鬼岩嶽丸のことのようです。)を退治した功績により下野那須の地を賜り天治2年(1125)に当城を築城し居住した。
城址には土塁の一部が残り東西63m、南北108mの曲輪(くるわ)がある。東方には、大手門と思われる跡が残り南東部は切り崩されているが、北部と西南の一部は旧形を留めている。
当城は、高館城(旧黒羽町川田:トンネルの上))が築城されるまで那須家代々が居城し、扇の的を射た那須与一宗隆生誕の地ともいわれている。
「那須記」には、「中川に打ち続きて、民家並び寸の明地もなし、町の名にも下宿という処あり、内外の道路は自由なり、道幅も5間の大通りに通ず」とあり、城の鬼門にあたる所には浄蔵寺を建立し、南方の平地には、、侍屋敷が建ち並び小路の数も7本、広小路8本あり、西の山には出城が構えられ、城の四方は堀が巡らされ、北の方は箒川を境として民家が数千軒(※すごい軒数ですね。)あり、北から南にかけて小路10本、横小路11本あったとあるから城下町としても文化的にもかなり発展した町であったことが窺い(うかがい)しることができる。
那珂川町教育委員会
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