京都・比叡山へ
01 上御霊神社/02 相国寺慈照院/03 相国寺/04 同志社大学/05 京都御所/06 JR比叡山坂本駅/07 西教寺/08 千体地蔵尊/
09 日吉大社/10 御所からの帰り道/11 旧竹林院/12 石積みの石垣/13 滋賀院門跡・慈眼堂/14 日吉東照宮/
15 ケーブル坂本駅・延暦寺駅/16 延暦寺 東塔/17 延暦寺 横川/18 延暦寺 西塔/19 延暦寺帰路/
20 嵯峨嵐山駅〜大覚寺/21 大覚寺/22 清凉寺/23 中院山荘跡・化野念仏寺へ/24 厭離菴/25 化野念仏寺/26 天竜寺へ/
27 野宮神社
/28 天竜寺/29 渡月橋周辺/30 渡月橋〜京都駅/31 京都タワー/32 北野天満宮/33 平野神社/34 金閣寺/
35 銀閣寺
/36 真如堂/37 金戒光明寺/38 岡崎神社周辺/39 永観堂/40 南禅寺/41 祇王寺/42 二尊院/
43 落柿舎(らくししゃ)
/44 常寂光寺
023京都 中院山荘跡・化野念仏寺へ  ■宇都宮五代城主頼綱と芳賀高照・高継の墓所
■説明板・・・
●中院山荘跡(ちゅういんさんそうあと)(小倉百人一首ゆかりの地)
鎌倉時代の初め、この辺りに、僧蓮生の中院山荘があった。蓮生は、俗名を宇都宮頼綱といい、下野国(現在の栃木県)の豪族で、鎌倉幕府の有力な御家人の一人であった。しかし、政争に巻き込まれるのを避けて出家し、実信房蓮生と名乗った。(このとき郎党60余人も同様に出家した。)後に上洛し、法然上人、次いで善恵上人証空に師事し、この地に山荘を営んだ。蓮生は和歌の名手で、近くの小倉山山麓に山荘を構えていた藤原定家とも親交があり、彼の娘が定家の子・為家に嫁いでいる。嘉禎元年(1235)5月、定家は蓮生が山荘の障子に貼る色紙の執筆を依頼したのに快く応じ、色紙の一枚一枚に天智天皇以来の名歌人の作を一首ずつ書いた。「小倉百人一首」はこの時の選歌に、後世、鳥羽、順徳両天皇の作品を加えるなどの補訂を施して完成したものといわれている。
京都府
中院山荘跡・化野念仏寺へ
清凉寺から化野念仏寺へ