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●宇都宮市の風景   栃木県宇都宮市

宇都宮五代城主頼綱と芳賀高照・高継の墓所
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18.10.3
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◆清巌寺(宇都宮) ■中院山荘跡(京都) ◆二尊院(京都)
■説明板・・・
●宇都宮五代城主頼綱(よりつな)と芳賀高照・高継の墓所
この頼綱が「小倉百人一首」の生みの親だったことを知る人は少ない。
鎌倉幕府の幕臣だった頼綱が27才(西暦1208年)政争に巻き込まれるのを避けて出家、法然上人の門に入り、法号を実信房蓮生(じっしんぼうれんじょう)と名乗った。

蓮生は和歌にすぐれ、京都二尊院(にそんいん)近くの小倉山麓に山荘を構え当代一流の文化人といわれた藤原定家(ふじわら の さだいえ)と姻戚関係を結んだ。これが縁で嘉禎(かてい)元年(1235)蓮生は山荘の障子に貼る色紙の執筆を定家に依頼、定家が色紙一枚、一枚に天智天皇(※大化の改新を行った中大兄皇子 なかのおおえのおうじ で知られる。 )以来の秀作を一首づつ書いた。これが「小倉百人一首」の原型となり、その後、鳥羽(とば)、順徳(じゅんとく)両天皇の作品を加えて、補訂してまとめた和歌集が小倉百人一首です。

蓮生の歌は「新勅撰(※新勅撰和歌集:しんちょくせんわかしゅう)」「続古今(※続古今和歌集:しょくこきんわかしゅう」「続拾遺(※続拾遺和歌集:しょくしゅういわかしゅう」などの和歌集に収められている。多くの歌人、武将が生まれたのも蓮生の大きな功績です。建保3年(1215)蓮生は、後の清巌寺となる念仏堂を宿郷村に草創した。此々(ここ)にある蓮生法師の墓碑の両脇に並んでいる墓は一族だった芳賀高照(兄)と高継(弟)の墓です。

※読めないので補足してあります。