京都へ 17.2.19
H17.2.19年の見学コース--1.興正寺--2.西本願寺--3.西本願寺〜東本願寺へ--4.東本願寺--5.名勝 渉成園--6.不動堂明王院--7.道祖神社--8.京都タワー--9.在原業平邸址--10.御所八幡宮--11.京都市役所--12本能寺--13.池田屋騒動址--14.弥次喜多像--15.路傍祠 鴨川べり--16.三条大橋--17.瑞泉寺--18.浄土宗だん王--19.大蔵寺--20.大将軍神社--21.知恩院--22.八坂神社--23.路傍祠 高台寺門前--24.八坂の塔--25.八坂庚申堂--26.舞妓さん--27.高台寺--28.二年坂--29.産寧坂--30.経書堂--31.地蔵院善光寺堂--32.清水寺--33.地主神社--34.子安塔 清水寺--35.日限地蔵尊--36.清水寺道・大谷道 道標--37.円通橋--38.若宮八幡宮--39.六波羅蜜寺--40.東寺--41..弘法市 東寺--42.粟嶋堂--43.明暗寺--44.十万不動明王--45.一華院--46.東福寺--47.泉涌寺--次へ
瑞泉寺 豊臣秀次公の墓所
説明板・・・
瑞泉寺(ずいせんじ)
慈舟山(じしゅうざん)と号し、浄土宗に属する。豊臣秀吉の甥、豊臣秀次の菩提を弔うため建立された寺である。秀次は、秀吉の養子となり、関白の位を継いでいたが、秀吉に嫡男秀頼が生まれたからは、次第に疎んぜられ、文禄4年(1595)7月、高野山において自害させられた。次いで、8月、秀次の幼児、妻、妾たち39人が当寺の近くの三条河原で死刑に処せられた。遺骸は、その場に埋葬され、塚が築かれ石塔が建てられていたが、その後の鴨川の氾濫などにより次第に荒廃した。慶長16年(1611)角倉了以(すみくらりょうい)が、高瀬川の開削中にこの墓石を発掘し、当地に移し塚を再建して堂宇を建立した。
これが当寺の起こりで、僧桂叔(けいしゅく)を開基とし、寺号は、秀次の法号、瑞泉寺殿をとって瑞泉寺と名付けられた。本堂には、本尊阿弥陀如来像を安置し、寺宝としては、秀次及び妻、妾らの辞世の和歌を蔵している。境内には、妻、妾たちの墓及び犠牲者49人の五輪塔がある。
京都市