・・・・・真岡市の風景・・・・・ |
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真岡市 中村八幡宮 01 25.5.15 |
25.5.15上三川⇒上三川風景02・・真岡⇒真岡風景03・・真岡風景04・・真岡風景05・・真岡風景06・・真岡風景07・・遍照寺12・・遍照寺13
遍照寺14・・遍照寺15・・中 導水幹線水路・・中村城跡・・飯貝 熊野神社・・熊野神社隣の五行川・・中村八幡宮01・・中村八幡宮02
北中里のエノキ・・中 薬師堂・・中村大明神・・南河内⇒薬師寺風景08・・石橋⇒姿川細谷橋周辺09・・姿川細谷橋周辺10
姿川細谷橋周辺11・・道と川百選 石橋バイパス5・・道と川百選 細谷橋01・・道と川百選 細谷橋02・・次へ |
■説明板・・・
●中村八幡宮 真岡市中
主祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)である。社伝によれば、天武天皇の時代、勅命により諸国に八幡宮が建立されたが、当社はその一社であるという。また、永正(えいしょう)年間(1046-52)に源頼義(みなもとのよりよし)・義家(よしいえ)父子が前九年の役(1051-62)に際して、常陸(ひたち)・下野・上野(こうづけ)の地に八社、八幡宮を建立し、石清水八幡宮(京都)を勧請(かんじょう)したが、その八八幡(やはちまん)の一社であるともいわれている。文治(ぶんじ)5年(1189)7月、源頼朝が藤原泰衡(ふじわらのやすひら)を追討するため奥州へ向かう際に、当社に戦勝を祈願、当地の領主中村時長(ときなが)も祈願し活躍することができたという。その勲功により、時長に伊達の地が与えられ、その子宗村(むねむら)が奥州伊達氏の祖になったといわれる。翌年、八幡宮に軍配が奉納されるなど伊達氏の守護神となった。以後、建久(けんきゅう)4年(1193)には、源頼朝より三十三町の神田の寄進を受けたり、伊達家代々の当主が、本殿や拝殿等の造営や修理などを行っている。また、寛永(かんえい)2年(1625)には、社殿修復にそなえて氏子たちが杉や檜2,400本を境内に植えている。(県指定天然記念物「中村八幡宮の社叢(しゃそう))以上のように、源氏や奥州伊達氏との関係が深い神社である。
平成18年9月 真岡市教育委員会 |
■説明板・・・
●栃木県指定天然記念物 中村八幡宮の社叢(しゃそう)
昭和46年6月25日指定 所有者 中村八幡宮
本殿と参道をとり囲むこの社叢には大木が多く、神社の森厳(しんげん)な環境を作りだしている。大部分は植栽されたヒノキ・スギ・ケヤキの他サカキ・クスノキ・アテバシイなどであるが、野生のものではカヤ・モミ・シラカシ・アカシデ・エゴノキ・ミズキ・コナラなどが見られる。ヒノキとスギの大木は社殿修復のため、寛永(かんえい)2年(1625年)に氏子が植えたもので、伐採された大木の年輪からも奉納の事実が裏付けられている。拝殿の前面右手にご神木の大ケヤキがある。これは樹高30.5メートル、目通り周囲4.9メートル、根廻り10.8メートル、根張り東西15メートル、南北22メートル。
太い幹で高くそびえ巨木の感がある。県内でも数少ない、見事で大規模な社叢である。
真岡市教育委員会 平成9年3月
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■説明板・・・
●御神木 樹齢 800年
文治5年(1189)源頼朝の奥州征伐から凱旋した当地中村の領主中村常陸介宗村(時長)は奥州伊達郡地頭に補せられた。宗村は中村八幡宮に軍配団扇(だんせん)を奉納しここに御神木けやきを植樹し神恩に感謝したと伝えられる。
中村八幡宮 |
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