■説明板・・・
●建造物 那須疏水旧取水施設(なすそすい きゅう しゅすいしせつ)
国指定重要文化財(一部附指定)平成18年(2006)7月5日指定
この取水施設は、水に乏しい那須野ケ原開拓地の飲用・水田灌漑(かんがい)等を目的に建設された那須疏水の施設で、明治期有数の規模を誇る貴重な土木遺産です。
そのあらましは次のとおりです。
@東水門(第一次・第三次取水口) 明治18年(1885)建設
※明治39年(1905)・昭和3年(1928)増設
A西水門(岩崎第二隧道(ずいどう)入口) 明治38年(1905)建設
B導水路(どうすいろ)・余水路(よすいろ) 明治38年(1905)建設
C一号護岸(ごがん)、二号護岸、東三号・西三号護岸 明治38年(1905)建設
那須疏水は、内務省直轄(ちょっかつ)の国営事業によって開かれたもので、安積(あさか)疏水(福島県)、琵琶湖(びわこ)疏水(滋賀県・京都府)と並び、日本三大疏水の一つに数えられます。ここ那須塩原市西岩崎の那珂川(なかがわ)右岸から取水し、千本松に至る約16kmの本幹水路、4本の分水路とそこから分かれる多くの支線水路が、約1万haに及ぶ那須野ケ原の開拓地をうるおしました。最初の取水口は、明治18年(1885)に那珂川の絶壁にトンネルを掘って造られました(第一次取水口)。この取水口には水量を調節したり、土砂の流入を防いだりする開閉施設がなく、大水等によって取水口がたびたび使用できなくなりました。そのため、明治38年(1905)に約200m上流に取水口を変更し(第二次取水口)、使用されなくなった第一次取水口は予備の水門として石積みが行われました。その後、川の流れが変わり、取水口は大正4年(1915)再び元の位置に戻されました(第三次取水口)。昭和3年(1928)には水量調節施設の設置、上部へのアーチ型の石積み等の増設が行われ、現在見られる石組の水門となりました。昭和51年(1976)、国営の那須野ケ原総合開発の一環として取水口が新設され(西岩崎頭首工(とうしゅこう)、第四次取水口)、かつての取水口は使用されなくなりました。旧取水施設は、当時の状態を良好に残しており、那須野ケ原開拓のシンボルとなっています。
平成19年(2007)3月
文化庁・栃木県教育委員会・那須塩原市教育委員会
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