■説明板・・・
●箱森十九夜尊(はこのもりじゅうくやそん)
江戸時代でも前ごろ、箱森新田と松島の村境争いがつづき、両村は幕府裁定のため代表を江戸におくり主張し合いましたが、松島村に不利な判決となりました。松島代表のお坊さんは責任を感じ粟(あわ)と稗(ひえ)を一升ずつ袋につめ「箱森の子どもらをこの粒数だけ不幸にしてやる」と呪いのことばを残して井戸に飛び込みました。それからは、箱森の子どもたちに災難が多くなりました。お坊さんのたたりだと恐れた母親たちは如意輪観音(にょいりんかんのん)に助けを求めました。それから毎日多くの人々から寄付をお願いして歩きました。5年、10年とたってやっと如意輪観音の石仏ができ、供養をすると子どもたちに元気が戻り平和な村となりました。この石仏には「安永8年(1779)3月吉日」とあります。母親たちの愛情がこめられた石仏で、いまでも箱森の十九夜さまと信仰されています。 |