・・・・・黒羽(大田原市)の風景・・・・・
黒羽一覧へ
 黒羽(大田原市)  25.4.22
   21
玉藻稲荷神社 21
鏡が池
 
佐久山の風景01・・佐久山の風景02・・県道49号線03・・国道461号線04・・国道461号線05・・県道72号線06・・黒羽⇒県道27号線07・・県道27号線08・・さくら市氏家⇒天神社09・・五行川水源地10・・箱森十九夜尊11・・さくら市喜連川⇒ほほえみ仏12・・大田原市⇒滝沢神社13・・親園風景14・・親園風景15・・親園風景16・・親園風景17・・親園風景18・・親園風景19・・不動の滝・・親園田園風景百選標柱・・親園加茂神社・・親園田谷川道と川百選標柱・・黒羽⇒玉藻稲荷神社20・・玉藻稲荷神社21・・玉藻稲荷神社22・・大田原市⇒富池・練貫風景23・・富池・練貫風景24・・富池・練貫風景25・・富池・練貫風景26・・富池・練貫風景27・・富池・練貫風景28・・富池・練貫風景29・・富池・練貫風景30・・富池・練貫風景31・・おかんじぢ湧水地・・池の御前湧水地・・練貫名木のエノキ・・黒羽⇒北野上あたり32・・不動院周辺33・・不動院周辺34・・久野又の風景35・・大久保の風景36・・寺宿の風景37・・寺宿 光厳寺38・・寺宿 光厳寺39・・両郷の風景40・・黒羽風景63・・寺宿田園風景百選標柱・・次へ
■説明板・・・
鎌倉第三代の征夷大将軍、右大臣源実朝は承久元年正月(1219)拝賀の礼を鶴岡八幡宮に行い、帰途公暁(くぎょう)に殺され、28歳にして劇的な死を遂げる。後世の人々は将軍右大臣実朝としてよりも、悲劇の歌人実朝として不朽の名を称える。実朝は、14歳のときより歌を詠み、万葉集・古今集・新古今集を愛読した。特に万葉集は重宝として賞翫(※しょうがん:そのもののよさを楽しむこと。珍重すること。)また、中央歌壇の巨匠藤原定家に教えを受け、歌を愛する武士との結びつきも、不朽の業をなす基となった。実朝の歌は各種の歌集にのせてあるが、「金槐和歌集」は実朝の歌集として名がある。この歌集に「霰(あられ)」と題して、

もののふの矢並み(やなみ)つくろふ小手の上に 霰たばしる那須の篠原(しのはら)

が入集している。これは歌枕「那須の篠原」を詠んだ歌で、万葉調でしかも実朝の歌境がよく表現されている。賀茂真渕も「人麿のよめらん勢ひなり」と称えている。
芭蕉の里 黒羽
■説明板・・・
八溝県立自然公園 鏡が池
三浦介義明が九尾の狐を追跡中、姿を見失ってしまったが、この池のほとりに立ってあたりを見まわしたところ、池の面近くに伸びた桜の木の枝に蝉の姿に化けている狐の正体が池にうつったので、三浦介は難なく九尾の狐を狩ったと伝えられ、これが鏡が池と呼ばれるようになったという。
↓実朝公の歌碑