■説明板・・・浄土宗 興光寺の由来
●浄土宗 深渡山照泉院と号する。
本尊は、阿弥陀如来立像・応永年間(1394-1428)徳蓮社良納上人開山、開基は栄覚大和尚、壬生三ケ寺の一つ。徳川三代将軍の頃、福和田村より本陣松本家(崇雲院)の隠居所であった大手門外北の現在地に移った。慶安4年(1651)徳川大猷院殿の御尊骸日光山へ入御の砌(みぎり)、当寺で通夜が勤められ、この時幕府より「葵」の紋が贈られ、三代将軍家光公ご位牌を安置す。子育呑龍上人像を尊置。文政年間の有名な代官谷郡太夫君雄、幕末の狩野派画人壬生藩の家老高須甘棠、本陣で名主の松本甘曉師弟の墓、戊辰戦争安塚の戦いで、戦死した政府軍の官修墓地がある。
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