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雄琴神社
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伊勢へ七度、熊野へ三度、雄琴様へは月詣り
寛治5年(1091)の創建と伝えられ、ご祭神は天照大神・舎人親王。かつては藤森神社と称していましたが、壬生の初代城主・壬生彦五郎胤業が、その祖である小槻今雄公を合祀して社号を改めました。天和5年(1685)、時の城主・三浦壱岐守が社殿を造営しています。900年にわたり壬生の総氏神として広く篤い信仰を集めています。銅製の鳥居は県指定文化財になっています。
・・・ゆうがおウォーキングコースパンフより
■説明板・・・
●雄琴神社の由来
寛治5年(※1091)鎮守府将軍清原武則の三男保定は、下野国壬生にその祖、舎人親王を奉斎する社を創建した。翌6年源義家は、奥州より上洛のとき参詣して社領を寄進した。嘉保2年(※1095)185人の郷中の者はみな保定にしたがって盛典(※せいてん:盛大な儀式)を執行し、それ以来当社は壬生郷の鎮守となり社号を藤森と称した。寛正(※かんしょう)3年(※1462)壬生彦五郎胤業は京都から此の地に来て、先の除地に黒川義正と力を合わせて築城した。文明元年(※1469)江州(※ごうしゅう:近江の国 現滋賀県))雄琴村(※現滋賀県大津市)に鎮座する壬生氏の祖、小槻今雄公の分霊を合祀し「雄琴」と称するようになった。天正(※てんしょう)19年(※1591)結城氏が壬生領主となり、大地主神を附祭した。又歴代城主も参拝し深く敬神した。