■説明
平家塚の由来
祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり・・・・・・
驕れるものは久からず、ただ春の夜の夢の如し
寿永4年(1185)壇ノ浦の戦いに敗れた平家一門は、その再興を心に誓い全国に四散したと云われています。東国に都落ちした平家の一族は、霊峰鶏頂山に身を隠していました。その時一族に男子が生まれ喜びのあまりあげた幟(のぼり)や鶏の鳴き声によって発見され、源氏の追討を受け湯西川へ落ちのびたのです。そして落人たちは湯西川を安住の地と定め武装を解き甲冑(かっちゅう)、刀剣等をここに埋めたとも言われております。以来、子孫達はこれを「平家塚」と称し、保存伝承に努めています。 |