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●足尾町の風景         栃木県日光市

龍蔵寺 天台宗
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・・・・・お寺の裏山の岩が気になります。実際に見るとかなり急斜面に見えます。お寺の前は足尾製錬所が見え、渡良瀬川がみえます。景色のよいところです。
■説明板1・・・
●旧松木村の無縁石塔
この地に足尾精錬所が建てられたのは、明治17年(1884)である。精錬所で鉱石を溶かす時に出る煙の中には、有害な亜硫酸ガスが含まれ、付近の草木を枯らす、いわゆる煙害が出始めた。
松木村の記録によれば、明治21年には桑の木が全滅し、22年には養蚕を廃止した。20町歩(約20ヘクタール)の農作物(大麦、小麦、大豆、小豆、ヒエ、キビ、大根、人参)は、33年までに次々と無収穫となった。明治25年まで40戸、人口270名だったものが、33年に戸数30戸、人口174名に減り、34年には1戸を残して全員松木を去り、廃村となった。この煙害問題はその後も50年間解決されなかった。
しかし、昭和31年(1956)自溶精錬法が採用され、硫酸工場が建設され、煙からの濃硫酸を採るようになって、やっとその根源を断つことに成功し、問題は砂防、造林事業に移った。たまたま昭和31年、足尾ダム(三川合流ダム)が完成し、日本一の砂防ダムとなった。その折、松木川に添った旧松木村の無縁仏をこの龍蔵寺境内に合祀した。なお、久蔵川に添った旧久蔵村の無縁石塔、仁田元川に添った仁田元村の無縁墓(昭和56年12月建設)もこの境内にある。昭和57年3月   龍蔵寺

■説明板2・・・
龍蔵寺(りゅうぞうじ)大宝元年(701)に役の行者が創立し、後に慈覚大師が再興したと言われている。以後勝道上人の縁をもって日光山と関係を深めながら輪王寺の末となった。明治20年の大火で焼失したが同28年に再建した。境内には明治政府打倒を企てた大忍坊、桜正坊の墓がある他、廃村松木村無縁塔や親分子分の坑夫の墓がある。 足尾町