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●宇都宮市の風景   栃木県宇都宮市

蒲生君平の墓 桂林寺
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18.9.26
蒲生君平関連・・蒲生君平生誕地の碑・・蒲生君平の墓・・蒲生君平修学の寺・・蒲生君平勅旌碑・・蒲生君平顕彰碑・・蒲生神社・・・桂林寺

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ここ桂林寺(けいりんじ)には、「寛政の三奇人(かんせいのさんきじん)」の一人といわれた蒲生君平の墓があります。新石町(しんこくちょう:現 小幡(おばた)1丁目)に生まれました。
近畿地方などの陵墓(りょうぼ:天皇・皇族の墓所)の研究書である『山陵志(さんりょうし)』をはじめ、多くの書物を著し、後世に大きな影響を与えました。文化(ぶんか)10年(1813)江戸で死去し、谷中(やなか:現・東京文京区)の臨江寺(りんこうじ)に葬られ、後にここに分葬されました。

■説明板・・・
●蒲生君平の墓(がもうくんぺいのはか)
蒲生君平は、高山彦九郎、林子平とともに「寛政の3奇人」といわれた人で、明和5年(1768)宇都宮の新石町で生まれ、祖先は元宇都宮城主 蒲生秀行(18万石)の弟正行(3千石)で本姓は福田でありましたが、途中で蒲生の姓を名乗りました。
歴代天皇の御陵が荒廃していることを非常に悲しみ、それらを調査して「山陵志」を著し修復の必要性を説きました。
また、朝廷の官職についてまとめた「職官志」や国防についてまとめた不恤緯(ふじゅつい)などを著しました。
しかし、業半ばにして病にたおれ、文化10年(1813)7月5日に江戸で46歳の生涯を閉じ、谷中の臨江寺(東京都台東区)に埋葬されました。
明治2年(1869)に勅命により「蒲生君平勅旌碑」が建立されました。
また明治14年5月の没後69年には、特使をもって正四位の御贈位が行われました。
この頃から、宇都宮の有志によって改葬の運動が行われ、その後、桂林寺の福田家の祖先の墓に遺髪が分葬されました。
宇都宮市 宇都宮観光協会