「寛政(かんせい)の三奇人(さんきじん)」の一人といわれた蒲生君平は、1768(明和(めいわ)5)年、新石町(しんこくちょう 現・小幡1丁目)に生まれました。6歳のとき、自宅から近い、ここ延命院(えんめいいん)の住職良快(りょうかい)から読み・書きの手ほどきを受けたといわれています。近畿地方などの陵墓(りょうぼ)(天 皇・皇族の墓所)の研究書である『山陵志(さんりょうし)』をはじめ、多くの書物を著し、学者・思想家として、後世に大きな影響を与えました。