「寛政(かんせい)の三奇人(さんきじん)」の一人といわれた蒲生君平は、1768(明和(めいわ)5)年、ここ新石町(しんこくちょう)(現・小幡(おばた)1丁目)に生まれ、幼名を伊三郎(いさぶろう)といいました。
13歳のころに、祖先が戦国期の武将蒲生氏郷(うじさと)であることを知り、「蒲生」と名のるようになりました。近畿地方などの陵墓(りょうぼ)(天皇・皇族の墓所)の研究書である『山陵志(さんりょうし)』をはじめ、多くの書物を著し、学者・思想家として、後世に大きな影響を与えました。