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木幡神社
(本殿・楼門)
(木幡) |
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1.木幡神社(本殿・楼門) 木幡
昭和25年8月29日国指定重要文化財。
国指定の重要文化財であり、平安時代の末期からこの地方の領主塩谷氏の氏神としても崇拝された。坂上田村麻呂が蝦夷征伐の戦勝成就のお礼に建立したといわれる建物である。 |
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荒井家住宅
(立足) |
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2・荒井家住宅(立足)
昭和43年4月25日国指定重要文化財
荒井家は、旧庄屋を勤めた。延宝4年(1676)火災にあったことが所蔵文書に書いてあり、建物の細部手法から見て延宝をあまり下がらない頃に建てられたものと判断されている。県下の民家のうちでは、特に古式な細部を残しており、この地方の民家を知るうえに重要な構造である。 |
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山縣有朋記念館
(上伊佐野) |
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3・山縣有朋記念館(上伊佐野)
平成2年1月26日県指定文化財。
明治42年建築(大正13年小田原より現在の地に移築)
山縣有朋記念館は、有朋公晩年の別荘で、純然たる洋風建築である。本建築は、有朋公在世中に古稀庵(こきあん)内に建築された居住の建物としては唯一の遺構である。現在は、記念館として開館している。
※古稀庵(こきあん)は、1907年(明治40年)に、神奈川県足柄下郡大窪村(現:神奈川県小田原市板橋)に建てられた、政治家・山縣有朋の別荘。 |
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持宝院(山門)
(下伊佐野) |
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4.持宝院(山門) 下伊佐野
昭和39年3月21日市文化財指定。
1間1戸切破風造、6脚門、瓦葺、正面1間、側面2間、前桁にばん竜、鼻桁に象頭、らん間にぼたん、左東柱に降り竜、精巧な彫刻で竜体門という別名がある。徳川初期様式建物、一説によると上太田古城、、松ケ嶺城の寺地山にあったものを本寺に移築したという。 |
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箒根神社
(立足・平野) |
未撮影 |
平野 箒根神社
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5.箒根神社(本殿)
本殿の彫刻は、明治15年(平野)明治16年(立足)、彫刻師笠間後藤縫殿之助により彫られたものである。笠間縫殿之助は、安政年間、重要文化財笠間稲荷神社の主要部を彫刻した名人で、月次の鳴井さま、福原の八幡さま等著名な神社を建築してからこの地に入ったという。けやきの厚板にかご彫り(すかし彫り)にした精巧な、のみの跡は驚嘆するばかりである。
※月次の鳴井さま・・・那須烏山市月次(つきなみ)にある加茂神社。
福原の八幡さま・・・大田原市の福原にある八幡宮でしょう。・・・たぶん |
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倉庫(蔵) 幸岡 |
個人宅なので撮影はしない。 |
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寺山観音寺
(観音堂・楼門)
(長井) |
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7.寺山観音寺(観音堂・楼門) 長井
寺山観音寺は、剣が峰の中腹にあった法楽寺が前身といわれ、神亀元年(724)僧の行基によって建立された。本尊である千手観音像や観音像を守る毘沙門天と不動明王も行基の作といわれている。
※剣が峰・・・矢板市パンフレット「見晴らし10景」に剣ケ峰のことが紹介されています。
市内で、もっとも高い眺望地。大間々駐車場から約2km地点の八海山付近(標高1540m)の眺めが一番。急な山道を700m、なだらかな尾根を800m歩き、たどりつくと、そこには関東平野を一望できる大パノラマが広がります。・・・と、あるのでこの山の中腹にあったのでしょう。 |
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矢板家住宅
(矢板武記念館)
(本町) |
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矢板武記念館へ |
8.矢板家住宅(矢板武記念館) 本町
明治初期に建てられたもので、当時の政財界(伊藤博文、松方正義、勝海舟、渋沢栄一など)の重鎮との交流の舞台となった場所でもある。 |
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倉庫(蔵)
(田野原) |
個人宅なので撮影はしない。
右の画像は田野原の火の見櫓⇒ |
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住宅 (平野) |
個人宅なので撮影はしない。
右の画像は平野兵庫畑の棚田⇒ |
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