■説明板・・・
●小滝坑閉山前の小滝(こたき)中心部のようす
足尾銅山の三山(坑)のひとつであった小滝の始まりは、明治18年(1885)に旧坑跡の開発に着手したところ、すぐに富鉱を発見したので翌年には選鉱所と製錬所を設け、次いで坑夫飯場も各所に建て、道路を開削し馬車鉄道を通すなど生産機能を拡大してからのことである。更に病院や学校も建て町家が並ぶようになり、大正5年(1916)の最盛期には一万有余人の人口となった。その時の「商業家便覧」によると数軒の料理屋や芸妓屋もあり、坑夫達の格好な場として賑わったことがうかがえる。しかし、徐徐に経営の合理化が進められ、遂に小滝坑は昭和29年(1954)に閉坑され銅山の施設は一挙に撤収となり、小滝は僅か数戸を残し廃墟同然となった。今は、昔日の夢の跡として「ここに小滝の里ありき」の大石碑が建てられたが、苔むした石垣の上から”山晴れ 水澄む 我等の小滝・・・・・”の歌が坑夫の声高らかに聞こえてくるようである。
日光市
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