我が郷土ふれあいマップ

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引田地区
1.引田小学校跡
明治6年6月龍澤寺(廃寺)を仮用して開校。同年7月に石村神社境内地に新築移転。引田、草久、上・下久我、上・下加薗、下沢、大久保の八ケ村連合で地方の模範学校だった。現在は引田向上センターとして運動場が跡を残すのみとなっている。
2.引田城(龍階城)跡
中世の城館跡。龍階山頂に城跡と呼ばれる平地とその三方を囲む武者走りがある。また、東斜面中腹には館跡と思われる平地がある。かつてはここに龍澤寺があったが、現在は杉林となり往時を偲ぶものは何もない。
3.龍神王神社
江戸中期と伝えられている。
かつて、龍澤寺で子供達の手習いを教えていた頃、天候急変の気配を感じた住職が、幣束を各自に持たせた。全員が無事大嵐に遭わずに帰ることができた。その後、龍神王を祀り、平安厄除けを祈ってきた。
4.龍澤寺跡
龍階山龍澤寺(真言宗)
墓石から寛永19年(1642)、正保3年(1646)、延宝8年(1680)、寛政9年(1680)が読み取れる。
今では参道跡を残すのみとなっている。
5.庚申(北向)地蔵尊
旧龍澤寺参道入口に立つ石地蔵。台座を含め高さ2.5mという近隣に見られない大きな地蔵尊。台座に「元文5年(1740)」の陰刻がある。
本地蔵尊は、庚申年を記念して造られていることから庚申地蔵と呼ばれるが、北向地蔵尊とも伝えられる。今もなお、地域の人々から、かわらぬ厚い信仰を受けている。
6.根本山神社
本尊:山の神様、雷電様、愛宕様(あたごさま)
毎年1月25日、8月25日の2回「無病息災」、「地域発展」を祈願する祭典がある。
林業関係者が、作業安全や育林管理を祈願している。
7.引田鉱山跡
含有物:銅、硫化鉄、亜鉛、アルミ
鉱種:金、銀、銅、亜鉛、硫化鉄
一時は約200人の鉱山関係者を擁する規模まで拡大したが、終戦により縮小され、昭和22年火事になり、鉱山関係の全ての施設を焼失し閉山。今では、ボタ山を残すのみである。
8.石村神社
本社の創立年月は不詳であるが、往古は星宮大明神と称し、引田村の鎮守神である。文化4年(1807)4月10日正遷宮(しょうせんぐう)。
明治5年社格改定の際に石村神社と改称した。
9.岩戸神社
社伝に曰く、元和元年(1615)この里に住む、工匠高村嘉右衛門と地主福田某の夢に神が現れ、「岩戸に宮社を建立すべし」と告げて消えた。これを霊夢として、二人で伊勢両宮に詣で、神木と添書きを請い求めて、本社を建立したもので、多くの参拝者が訪れたと伝えられる。

岩戸神社 引田
10.妙見神社
未撮影 安産、子育てを祈願する神社であると云われている。
11.天王神社
寄進燈篭に天明6年(1786)、文化2年(1805)の記載あり。
現在の天王神社は、稲山地域の守り神として、かわらぬ厚い信仰を受けている。
12.磨墨ケ渕(記念碑)
現在の天王橋のわきにある渕で、昔はこの辺り一帯に芦が生えていて、馬の天然飼育には好適地だった。
ここで育った馬に名馬「磨墨」がおり、これを源頼朝に献上したと云われる。この馬が、大芦川の対岸に一足飛びした時に、岩に蹄の跡を残した事から、「磨墨ケ渕」と呼ばれるようになった。
13.金ケ沢城跡
高畑と久我の境にそびえ、城山と呼ばれる。山頂の平坦な場所に、周囲を切り落として武者走りを廻らせた山城で、久我城の支城と云われている。
14.磨墨観音
名馬「磨墨」を祀る観音様。
高畑地区の守り神。
15.富士宮(浅間)神社
未撮影 建立時期不明。
祭日には、お神酒、赤飯、野菜5品を供え、災害厄除けを祈願する。
16.鹿島神社
未撮影 久安5年(1149)の創建と伝えられる。
17.長安寺
大芦山長安寺(曹洞宗)
寺伝によれば、当山はもと信州松本広沢寺末寺で、上南摩広厳寺開山である梵室建紹大和尚を招じ、弘治元年(1555)草久松手に寺を創建したといわれる。その後、享保10年(1726)10月10日に現在の地に移転した。また、寺子屋を開き付近の子供達の教育も行っていた。