・・・・・那須町の風景・・・・・ |
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史跡 殺生石 5 25.5.28 |
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■説明板・・・
●「殺生石の由来(せっしょうせきのゆらい)」
昔、中国やインドで美しい女性に化けて悪行を重ねていた白面金毛九尾(はくめんきんもうきゅうび)の狐が今から800年程前日本に渡来しました。
九尾の狐は、「玉藻の前(たまものまえ)」と名乗って朝廷に仕え、日本国を亡ぼそうとしていました。しかし、陰陽師(おんみょうじ)阿部泰成(あべのやすなり=安倍泰成)に正体を見破られると、九尾の狐は那須野が原まで逃げてきました。ここでも九尾の狐は悪さを繰り返していたので、朝廷は三浦介(みうらのすけ)、上総介(かずさのすけ)の両名に命じ遂に九尾の狐を退治しました。すると、九尾の狐の姿は毒石になり毒気を放ち始め、、近づく人や獣を殺し続けました。
これを伝え聞いた泉渓寺(せんけいじ)の源翁和尚(げんのうおしょう)が毒石に向かって大乗経(だいじょうきょう)をあげ続けると、一筋の白煙とともに玉藻の前の姿が現れ、石は三つに割れて飛び散り、一つがここに残りました。それ以来、人々はその石を殺生石と呼ぶようになり、今に伝えられています。
那須町 |
■説明板・・・
●那須温泉神社
左の橋を渡り約160メートル程行くと、那須温泉神社があります。境内を通り抜けると殺生石駐車場、湯本バス停に至ります。那須温泉神社の歴史は古く第34代舒明天皇(じょめいてんのう)の御代(奈良朝630年)に創建された延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)にも上撰(じょうせん)されている由緒ある神社であります。那須温泉神社は源平合戦において那須余一宗隆が屋島の戦で扇の的を射る時に「南無八幡大菩薩(なむはちまんだいぼさつ)別しては我国の神明、日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神願わくはあの的の真中を射させてたはせ給え」と祈願した神社であります。余一名声を挙げて後、那須氏の崇敬をうけ領民こぞって温泉神社を勧請し奉り現在那須郡内には、80数社の温泉神社又は湯泉神社が祀られております。
又芭蕉句集に
「那須の温泉神社の相殿に八幡宮を移し奉り両神一方に拝まれ給う」とあり
湯を結ぶちかいもおなじ岩清水
という句があります。
環境省・栃木県 |
↓芭蕉句碑 「いしの香や なつ草あかく 露あつし」 芭蕉翁
と書いてあるそうです。専門家でないと読めない。 |
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↓お地蔵様の碑 |
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↓一番奥にある殺生石 一個ではなく全体的に殺生石なのでしょう。
その中で大きい石に注連縄が張ってあります。 |
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↓那須温泉神社への道 |
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