■説明板・・・
●高手観音由来
この観音堂は後奈良天皇の弘治3年9月12日(1557)13代足利義輝将軍時代、本惣戒師釈迦牟尼如来33体観音細色大本願蔵助したのが開基であります。
仏所は遠く九州筑前の国冷泉博多津住僧一伝が筑前守夫婦を初め、対島守、越後守、出雲守、その他蔵坊、など多くの信者の方々から仏身一体づつのご寄進を得、仏師国次がこれに当たり、地元信徒の努力とご芳謝により西国及び坂東33ヶ所観音霊場巡りが、この地で崇拝できるように33体観音を一堂内に羅列して信徒の要望に応え、安置したものです。この観音は氏子の安泰と家内安全にすぐれたご利益をもたらし湯西川郷の信仰いよいよ厚く他国より来拝する者、後を絶たず東国巡礼の札所代わりとなったものであります。
・・・途中省略・・・
昭和51年12月24日栗山村有形民俗文化財指定 |