■説明板・・・
●翁島由来記
下野の栃木はかつて・・・
巴波川の舟運によって栄えた商人の町である。嘉永4年生まれの岡田孝一は、隠居してその長男嘉右衛門に家督を譲ったものの、当時足尾銅山の開発に着手した古河市兵衛と誼(よしみ)を結び、東京への産銅の輸送鉱毒解消用石灰の供給などに尽力し、家運を増長させた。栃木から巴波川の舟運で、渡良瀬川より利根川に出て東京へ送り込むことに着目したのは、明治18年の頃で、その内水路による回漕を請負った。同家の船着場は、町の北部にある当小平町内の巴波川河畔にあって上河岸とも呼んでいる。稚趣(がしゅ)に富み、普請好きだった当主は、齢70を迎え別荘建築を発起し、その地を鉄道開通によって、不要になった自家の荷揚場を選んで、巴波川に南面し裏手に水を巡らし約7反にわたる、一画は島にも似せたものである。一部二階建総瓦葺、建坪約100坪の木造隠居家を構えたのである。特に用材については、東京の木場で吟味買付、自家の庭でひかせたもので、檜材はすべて木曽産である。廊下に使った長さ6間半、幅3尺、厚さ1寸の欅板は、町内の老巨木を割らせて張ったもので、町内練達の工匠達が技を競い、竣工したのは大正13年で、栃木市に於ける大正期を代表する木造建築といえよう。ここに嘉右衛門町の本邸から移り住んで米寿を迎えた当主をいつしか翁という。この別邸を翁島別邸と呼ぶようになった。 |