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●下野国庁跡
国庁とは、大宝律令(701)により確立した律令国家体制における、地方統治の中核として設置された、国府の中心部にあたる建物です。国府跡については、栃木市内の勝光寺付近説・惣社説・古国府説などがあったが、昭和54年夏、同市田村町の宮野辺神社付近で、国庁域が発見されました。約90m四方の国庁内郭には、前殿・東脇殿・西脇殿・南門が配され、前殿の北側の神社境内には正殿(政庁)が存在することは確実であるが、未発掘であります。
環境庁・栃木県
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●東脇殿(ひがしわきでん)
長大な南北棟の建物であり、国府の役人が事務を行った施設です。発掘調査により延暦(えんりゃく)10年(791)頃焼失したことを確認しています。西側に建てられた同規模の西脇殿とは、前殿を中心に東西対称の位置関係になっています。発掘調査により確認した建物跡は、奈良時代前期から平安時代前期のもので、この間に4期の変遷があります。また、これに先行する竪穴住居跡を建物直下で確認しています。ここに建てられている藤棚は、奈良時代後期(U期)の東脇殿の一部について柱の位置、太さ、軒の高さを復元しながら制作したものです。建物の北部は宮目(みやのめ)神社境内となるため、柱位置のみの表示としました。また、建物内部には、床板が張られていたことがわかっており、床を支えた柱位置も表示いたしました。
(T期)掘立柱建物、東西約4.8m、南北約45.0m
(U期)掘立柱瓦葺建物 東西約4.8m、南北約45.0m焼失
(V期)礎石立建物 東西約4.8m 南北約45.0m
(W期)掘立柱建物 東西約5.4m 南北約43.8m |
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●国指定史跡「下野国庁跡」
下野国庁は、律令制下(奈良・平安時代)における地方統制の中核として設置された役所であり、同時に政治、経済、交易等のいわば下野国の古代文化を集約する唯一の地方拠点でありました。国庁の中心である国庁域は、奈良時代後期には東西南北約95mあり、周囲を板塀に囲まれ、南央部に「南門」、中心部に「前殿」、その両側に「東脇殿」「西脇殿」が造営されていました。昭和51年から行われた発掘調査では、国庁の建物群や区画施設(堀、北門)、中心道路の南大路、国司館(推定)等の遺構が確認され、木簡、漆紙文書、土器、瓦などの貴重な品々が出土しました。その全域が明らかである国庁跡は全国的にも貴重であり、昭和57年に国指定史跡に指定されました。平成6年には、前殿が当時の姿に復元され、その後、平成8年に敷地内に下野国庁跡資料館が開館して出土品が無料公開されております。 |