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●案内
この碑は、「圃租法(ほそほう:年貢のこと)変更記念碑」といい、当地方の農民が、明治2(1869)年から翌年にかけ、
圃祖法の変更を求めた農民一揆を記念して建てたものである。
江戸時代、烏山藩は46ヶ村の村々を支配していたが、そのうち20ヶ村は畑年貢を金で、残りの26ヶ村は米でと、納め方が違っていた。
圧倒的に畑地が多かった当地方において、安政5(1858)年の横浜開港にはじまる米価の暴騰は、金納の村と比して米納の村々に数十倍もの負担を負わせるものとなった。
そのため、米納の村々は惣代をたて、新政府に訴えを起こしていった。
長期の闘争にもかかわらず成功にはいたらなかったが、私利私慾をすて、農民のために犠牲的に闘った多くの惣代たちに対しては、事件終了後も、惜しみない支持と共感が寄せられ明治35(1902)年、碑文建立に成功したものである。
下野烏山農民一揆記念会 |
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