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●足尾町の風景         栃木県日光市

龍蔵寺と背後の梵天岩
旧小滝火薬庫跡・・・当初の小滝坑跡・・・庚申川(山岳橋)・・・石塔(銀山平方面)・・・青い鉄橋・・・お堂(猿田彦神社隣)・・・中国人殉難烈士慰霊塔・・・丁程標・・・銀山平・・・庚申山登山口・・・足尾温泉 庚申の湯・・・坑夫浴場跡・・・庚申川(坑夫浴場跡)・・・磐裂神社御神木・・・小滝小学校跡・・・庚申ダム湖・・・宮前地蔵尊(遠下)・・・間藤風景001・・・消火栓・・・通洞大橋と渡良瀬川・・・変電所・・・足尾市民センター・・・赤倉風景001・・・赤倉風景002・・・通洞駅・・・足字銭・・・足尾駅説明有り・・・古河掛水倶楽部・・・渡良瀬橋近くの風景・・・間藤ダム・・・間藤駅・・・間藤風景002・・・本山途中の変電所・・・古河橋・・・足尾ダム遠景・・・足尾製錬所・・・龍蔵寺と岩・・・足尾ダム・・・間藤水力発電所跡・・・足尾駅001・・・旧足尾高等学校・・・地蔵滝・・・第二渡良瀬川橋梁・・・足尾ダム最終地点・・・龍蔵寺前風景・・・間藤風景・・・通洞風景001・・・通洞風景002・・・通洞大橋・・・草木ダム参考
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・・・・・お寺の裏山の岩が気になります。(調べたら梵天岩とわかりました。)実際に見るとかなり急斜面に見えます。お寺の前は足尾製錬所が見え、渡良瀬川がみえます。景色のよいところです。
■説明板1・・・
●旧松木村の無縁石塔
この地に足尾精錬所が建てられたのは、明治17年(1884)である。精錬所で鉱石を溶かす時に出る煙の中には、有害な亜硫酸ガスが含まれ、付近の草木を枯らす、いわゆる煙害が出始めた。
松木村の記録によれば、明治21年には桑の木が全滅し、22年には養蚕を廃止した。20町歩(約20ヘクタール)の農作物(大麦、小麦、大豆、小豆、ヒエ、キビ、大根、人参)は、33年までに次々と無収穫となった。明治25年まで40戸、人口270名だったものが、33年に戸数30戸、人口174名に減り、34年には1戸を残して全員松木を去り、廃村となった。この煙害問題はその後も50年間解決されなかった。しかし、昭和31年(1956)自溶精錬法が採用され、硫酸工場が建設され、煙からの濃硫酸を採るようになって、やっとその根源を断つことに成功し、問題は砂防、造林事業に移った。たまたま昭和31年、足尾ダム(三川合流ダム)が完成し、日本一の砂防ダムとなった。
その折、松木川に添った旧松木村の無縁仏をこの龍蔵寺境内に合祀した。なお、久蔵川に添った旧久蔵村の無縁石塔、仁田元川に添った仁田元村の無縁墓(昭和56年12月建設)もこの境内にある。昭和57年3月   龍蔵寺

■説明板2・・・
龍蔵寺(りゅうぞうじ)大宝元年(701)に役の行者が創立し、後に慈覚大師が再興したと言われている。以後勝道上人の縁をもって日光山と関係を深めながら輪王寺の末となった。明治20年の大火で焼失したが同28年に再建した。境内には明治政府打倒を企てた大忍坊、桜正坊の墓がある他、廃村松木村無縁塔や親分子分の坑夫の墓がある。 
足尾町
19.9.25撮影。天気曇り時々晴れ。