磯山神社でいただいた由緒沿革には
社伝に磯山神社は一条天皇の御宇永延2年(988)高野下野藤原権助の創建にて当山明神と称し磯、亀和田、赤塚、七つ石、羽生田五ケ村の総鎮守であった。西方城主西方遠江守烏丸景泰(烏丸大納言)永仁6年(1298)宇都宮二荒明神を勧請合祀し祈願所とする。壬生城主、壬生上総介義雄、篤く当社を崇敬し永禄10年(1568)鰐口を寄進せられる。
江戸初期に磯山明神と改称、徳川将軍代々の崇敬社にて、慶安元年(1648)三代将軍家光公より高七石一斗余の朱印を附せられてから、代々の将軍より同待遇を受け、神主金子氏別当円徳寺をもって奉仕させた。寛文2年(1662)現在の本殿完成、享保元年(1716)宗源宣旨正一位を授かる。文化12年(1815)拝殿改築、明治初年磯山神社と改称、同5年郷社に列格、旧南押原郷及び奈佐原、塩山、池の森、七つ石の総鎮守に、同15年村社になる。大正7年幣帛神饌料供進指定村社に指定せられる。
昭和25年木羽葺の本殿屋根を銅板に葺き替える。昭和39年10月拝殿改築落成。・・・
と書いてありました。 |