▼鳥居跡町の名前の由来ですが、
▼「少年少女のための鹿沼の町名」 黒川常幸氏発行本によると・・・ ■鳥居跡町(とりいどちょう)
鎌倉時代に将軍源頼朝が願いごとがあって、日光二荒山神社の神領(神社のいろいろな費用にあてるために神社がもっている領地)として鹿沼あたりの66郷を寄付しました。そのころ日本が66の国(今の県のようなもの)に分かれていましたので、数の同じ66郷(郷というのは国をさらに細かく分けた地域の単位)にしたのだということです。
山口安良(やまぐちやすら)のあらわした「押原推移録(おしはらすいいろく)」には、鹿沼に関係のある次のような地名がのっています。上殿(かみどの)、府所(ふどころ)、栃久保(とちくぼ:栃窪)、玉田(たまだ)、板荷(いたが)、深岩(ふかいわ)、富岡(とみおか)、古加志(こがし:古賀志)、見野(みの)、下南摩(しもなんま)、村井(むらい)、樅山(もみやま)、奈良部(ならぶ)、花岡(はなおか)、笹原田(ささはらだ)、下沢(しもざわ)、引田(ひきだ)、大芦(おおあし)、加園(かぞの)、日向(ひなた)、茂呂(もろ)、千度(せんど:千渡)など。
神領の中に一の鳥居をたてましたが長い間に鳥居は朽ちて、あとかたもなくなりました。そこで鳥居のあった跡という意味で鳥居跡町となづけました。 |