27.6.14 那須町 芦野 お地蔵様
通称 新町のお地蔵様 |
2020.10.30 那須町 寄居 與楽寺参道のお地蔵様 |
2020.10.30 那須町 寄居 旧陸羽街道
桜の木の隣にあるお地蔵様 |
2020.10.30 那須町 伊王野 北向き地蔵様 |
25.5.28 那須町 殺生石 教伝地蔵 |
25.5.28 那須町 殺生石 千体地蔵 |
27.4.18 大田原市 南地蔵・刈切地蔵・雨乞い地蔵とか呼ばれています。 |
16.3.10 日光市 下小倉 延命地蔵尊 |
17.6.1 日光市今市 追分地蔵尊 |
17.6.1 日光市今市 くさ地蔵尊
追分地蔵尊境内にある。 くさ(口の周りに出来るおできをとるお地蔵様のこと |
17.6.1 日光市今市 安全地蔵・子育地蔵
追分地蔵尊境内にある。 |
24.2.10 日光市 首切り地蔵尊 |
16.12.2 日光市足尾町 愛宕下地蔵尊 |
16.12.2 日光市足尾町 宮前子育地蔵尊 |
16.12.2 日光市足尾町 赤倉地蔵尊 |
19.9.25 日光市足尾町 地蔵滝
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20.10.29 鹿沼市草久 みやこやの地蔵尊 |
20.10.29 鹿沼市草久 こびのき延命地蔵尊 |
19.9.25 粕尾峠 地蔵岳登山口 地蔵岳1274.4m 峠1150m |
19.11.20 足利市 月谷地蔵尊 |
19.11.20 足利市 隆興寺 お地蔵様 |
19.11.20 足利市 浄因寺 お地蔵様 |
19.11.8 日光市今市 回向庵 子育延命地蔵尊
国定忠治に関係する方のお墓があります。 |
19.11.8 日光市今市 回向庵 お地蔵様 |
19.11.8 日光市今市 如来寺 お地蔵様 |
19.11.8 日光市今市 如来寺 地蔵堂
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18.6.28 日光市 浄光寺
菅笠日限地蔵尊(すげがさひぎりじぞうそん) |
18.6.28 日光市 浄光寺 親地蔵尊御首 |
18.6.28 日光市 慈雲寺 お地蔵様 |
18.6.28 日光市 大谷川 カンマン地蔵(化け地蔵) |
19.5.8 日光市 三本松地蔵尊 |
20.5.21 芳賀町 城興寺 子育地蔵堂 |
20.5.21 芳賀町 城興寺 銅像地蔵菩薩像
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26.5.3 鹿沼市 医王寺 地蔵菩薩半跏像 |
26.5.3 鹿沼市 医王寺 お地蔵様 |
26.5.3 鹿沼市 医王寺 地蔵堂 |
18.7.22 芳賀町 上稲毛田地蔵堂 |
18.9.26 宇都宮市 延命院 地蔵堂 |
18.4.28 宇都宮市 清巖寺 子育地蔵尊 |
22.3.26 鹿沼市 久野 石造仏様
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19.4.28 鹿沼市 野尻 出川地蔵尊 |
19.4.28 小山市 常光寺 六地蔵様 |
鹿沼市 磯町
14.登美地蔵 とみじぞう
駒場トミさんが産婆をしていて、大正14年に71歳で亡くなるまでに、100人以上もの赤子を取り上げたといわれ、トミさんや家族の意思もあって、有志により子供の安産と成長を願って、地蔵尊が建立されました。現在も安産を願ってお参りする人が多いといわれます。 |
15.12.24 鹿沼市 亀和田町
地蔵畑のお地蔵様 6.地蔵畑 じぞうばた
神明宮の西南に約20㎡ほどの荒地があり、昔この辺り一帯が山林であった頃に、一人の巡礼が亡くなったといわれています。
その後、この辺りも開墾され畑となったが、この畑を耕すと、禍が起こると恐れられ、供養碑がたてられています。
この地蔵尊の祭日には、地元の有志により供養が行われています。 |
18.5.13 東京都浅草寺境内 母子地蔵建立の由来
第二次世界大戦末期、ソ連参戦で混乱状態となった中国東北部(満州)で逃避行の末、命を落とした日本人の数は二十万人を超えると云われています。
酷寒の曠野を逃げ惑ううち母子が生き別れとなったり、飢えや疫病に苦しみながら亡くなるなど、その悲劇は数知れません。
犠牲となられた母子の霊を慰め、また、いまだ再会のかなわない親と子の心のよりどころとして、二度と戦争という過ちを繰り返さない事を祈念しつつ、ここに母子地蔵を建立いたしました。
一九九七年四月十二日
願主 千野誠治
デザイン ちばてつや
文字 森田拳次
まんしゅう地蔵建立委員会
まんしゅう地蔵建立応援団
中国残留孤児援護基金 |
2020.11.27 佐野市 金蔵院 参道の六地蔵様
2020.11.27 佐野市 金蔵院 紅葉参道のお地蔵様
たくさんありました。
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2020.11.22 鹿沼市 千手院 子育地蔵尊
宝暦5年(1755年)造立 |
17.6.13 壬生町 安昌寺 延命子育地蔵尊 |
20.12.4 栃木市岩舟町 高平寺 毛はえ地蔵様 |
21.9.21 佐野市吉水町 延命地蔵尊 |
16.9.1 鹿沼市 下久我 老沢橋 地蔵堂 |
17.2.13 鹿沼市銀座 子育地蔵尊 |
17.4.7 鹿沼市 下大久保 子安地蔵尊 |
17.4.18 鹿沼市 上大久保 地蔵堂 |
17.12.1 鹿沼市 勝願寺の地蔵ケヤキとお地蔵様2体 |
17.9.13 栃木市都賀町 愛宕神社前 お地蔵様 |
18.2.14 鹿沼市 西鹿沼町 北向き地蔵尊 |
18.2.14 鹿沼市 下沢 お地蔵様 頭がないお地蔵様がある。 |
18.2.14 鹿沼市 下沢 お地蔵様 |
18.2.14 鹿沼市 引田 お地蔵様 |
18.2.14 鹿沼市 下沢 お地蔵様 |
18.2.14 鹿沼市 塩山町 お地蔵様 |
18.3.21 鹿沼市 府中町 お地蔵様 |
20.1.26 益子町 正法寺 お地蔵様 |
19.10.2 日光市栗山 日向あたり 子安地蔵堂 |
19.10.2 日光市栗山 唐滝不動尊の中にお地蔵様
唐滝が見える場所にこの不動尊が祀られている。
その堂の中に剣が二本。 |
19.3.26 壬生町 通り町二地蔵尊 |
19.8.29 宇都宮市 桑島町 お地蔵様
子どもを抱いている。鬼怒川が近いしね。 |
19.7.28 宇都宮市徳次郎
■説明板・・・
●痣地蔵尊
由来の説明板には次のようなことが書いてありました。一部判読できないところがありました。
痣(あざ)地蔵尊由来
中徳次郎町本陣某氏が智賀都神社東側田川沿線大道地内の開墾の際に、土中から発見されたもので直ちに智賀都神社南広場に安直したが其の後、文化4年(1794)に本陣入江■■氏に依って元神宮寺と云われた石屋根のお堂に遷座されたといわれている。
此の地蔵は痣地蔵と云われ「あざ」「いぼ」で困っている人が地蔵尊にお願いすると不思議にも治ると云われ近村は勿論のこと遠くは東京・福島・群馬方面からもお参りする人達も多数おりました。
昭和6年頃に念仏講の人達の願いで痣地蔵のお堂が増改築され子供達の習字の場所になったり戦中戦後の一時期疎開の方が入居した事もありました。
転居後は荒廃がひどく地蔵尊本体が用水堀に浸る事もあり昔の本陣に関係のある岩曽町の半田氏祖母の夢枕に出て「今私は下半身が水に浸って困っているので何とかしてほしい」と云うことで荒廃しきったお堂の問題について半田氏から中町町会に相談がありました。
昭和35年に一坪ほどのお堂に建替え安置されました。其の後入江さん宅から中町公民館に移転安置された。昭和59年屋台倉庫の増改築により仮住まいの状況にあったので遠く遷座された時を回想すると霊験あらたかな地蔵尊を遷座安置することが望ましいと云う事で町内皆様方の御厚情と浄財に依り平成6年12月建立す。 |
20.10.25 山形県 山寺(立石寺) お地蔵様 |
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