19.11.8日光市今市 浄泉寺 お地蔵様
■浄泉寺薬師如来境内
●浄泉寺は日光市今市、市縁広場の北側。お寺の入口の道は狭いのですが、境内は広い。上町の薬師さま。今市市・今市市観光協会。薬師如来(今市宿地蔵めぐり)
この薬師様は目の病気にご利益があるそうです。
薬師如来の隣に「そば喰稲荷」「聖徳太子堂」があります。 |
19.11.8 日光市今市 しばり地蔵様
このお地蔵様の前から見える冬の日光連山は見事です。 |
19.11.9 日光市猪倉 お地蔵様
となりに大きなヤマザクラがあります。 |
19.11.13 足利市 光得寺 お地蔵様 |
19.11.15 佐野市 本願寺 お地蔵様 |
19.44.15 足利市 稲岡観音堂仁王門
頭部のないお地蔵様多数 |
19.11.15 足利市 金蔵院 お地蔵様 |
19.11.15 佐野市 本願寺 地蔵カヤ |
19.4.12 壬生町 福和田 地蔵堂
日産ステージア2500cc 以前に乗っていた車 |
19.4.12 壬生町 安昌寺 桜の下にお地蔵様 |
19.1.11 宇都宮市 大谷 お地蔵様 |
19.1.11 宇都宮市 立岩延命地蔵尊 |
19.1.11 宇都宮市上河内 たかおかみ神社隣 お地蔵様 |
19.1.22 さくら市氏家 街道分岐 お地蔵様 |
19.1.22 さくら市氏家 西導寺 六地蔵様 |
19.1.22 さくら市氏家 石造地蔵菩薩坐像
蔦地蔵・定家地蔵とも呼ばれている。
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19.1.22 さくら市上野 今宮神社前 お地蔵様 |
16.2.26 鹿沼市西鹿沼町 雄山寺 |
17.5.26 大田原市 黒羽 岩谷観音 お地蔵様 |
17.5.26 大田原市 黒羽 雲巌寺 南 お地蔵様 |
18.5.31 市貝町 慈眼寺 お地蔵様 |
17.11.22 鹿沼市 城宝寺 お地蔵様 |
18.7.8 宇都宮市 正法寺 お地蔵様 |
17.6.9 宇都宮市 多気山 お地蔵様 |
17.6.9 宇都宮市
下野三十三観音霊場 岩本観音
お地蔵様 |
17.8.28 佐野市葛生秋山 普門寺 お地蔵様 |
20.5.23 日光市今市 小休戸 延命地蔵尊 ■小休戸延命地蔵大菩薩の由来
この地蔵尊は、今より凡そ(およそ)270年前の享保4年、当地小休戸より栗山村へ通ずる大笹峠越えの災難除けの願いを込め下野國小百村沼尾重衛門氏・同高畑村八木沢康衛門氏の本願により延命地蔵大菩薩として建立されたものであります。
豊岡村史によりますと小休戸は元禄年間(凡そ300年前)すでに集落の発生がみられ、大笹峠を経て栗山村への物資運搬の中継所として繁栄をもたらした記録があり、更には明治44年鬼怒川発電所黒部堰堤工事により大正2年完成までの年月は当地の最盛期でありました。
その当時戸数は20数戸を有し、人口も必然的に増加、小百小学校の分教場が設置されました。
その後、昭和16年栗山村青柳藤原町川治間の自動車道の開通により、当地の交通は殆ど(ほとんど)杜絶(とぜつ)したのであります。
建立以来270年、人のいたみをきき入れ御慈愛を施し下さった有難い御地蔵様として地域の人は勿論、道行く人々に信仰されております。
すぐ側(そば)に流れ出る冷水は奥深い岩の間より湧き出し、年中枯れることなく流れ続け延命の湧水として道行く人の喉をうるおしております。
永い年月に亘りお地蔵様の好きな赤い帽子、赤い前掛けを着せ祠の補修等歴史を物語る大切な遺産として守り続けてこられたのは、この地に生まれ育ち郷土を愛する齋藤利之様ご夫妻であります。
この度、建立時の願主の遺志を継いで、末永く道行く人の安全を願い、有志一同相集いここに祠を修復したところであります。
平成5癸酉年11月吉日
有志一同敬白 |
19.2.8 高野山 女人堂前 お竹地蔵尊 ■説明板・・・
お竹地蔵の由来
この地蔵尊は安政年間江戸の大地震で亡くなられた人々のため、又自分の父母の菩提のために自分の身を仏様に捧げて30年の年期奉公し身を粉にして働き蓄えたお金で建てられたお地蔵様です。建立された人は横山竹さんと申される女性で江戸(もと飯田町)のかたです。女人堂前のお竹地蔵さんと崇められ、今なお多くの参拝者で線香の煙が絶えることがありません。お願い事は縁談、進学、子授、水子供養等をお聴き届け下さいます。
総本山 金剛峯寺 |
19.2.8 高野山 地蔵院 お地蔵様 |
18.2.5 鹿沼市 塩山町 日限地蔵様 弘法の袈裟懸け松 こうぼうのけさかけまつ
「三峰桜」の南に松の古木があり、「弘法の袈裟懸け松」と言われていましたが、昭和50年頃枯れてしまいました。その根元にある石造りの地蔵尊の光背に宝暦6年(1756)「左之(い)ずる道」などの銘があり、旧道の道標にもなっていたものです。
塩山地区の日限地蔵尊です。新しいお堂でした。
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17.8.28 佐野市葛生 東渓院 お地蔵様 |
18.2.5 鹿沼市塩山町 六地蔵様
一体不明
円明院から北へ500m位の墓地には六地蔵尊と呼ばれる石像があります。現在そこには、5体の石像がありますが、それぞれの像には、宝永7年(1710)、正徳元年(1711)、3年、4年、享保元年(1716)の銘があり、毎年1体ずつ建立されたものと思われます。 |
18.2.5 鹿沼市 下奈良部町 北向地蔵尊
神社の南西にある共同墓地の北側に地蔵尊が祀られ、「北向地蔵」といわれて信仰されています。地蔵尊は安産や子育ての仏として女性の信仰が厚く「地蔵講」などがありますが、ここには十九夜供養碑や馬力神の碑などが数多く見られ、「十九夜講」や馬の供養のための「蒼(勝)善講」などが行われたものです。また北側の墓地には「薬師堂」があります。
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26.2.3 鹿沼市 上永野 お地蔵様
今宮神社隣 |
26.2.3 栃木市 星野町 田虫地蔵様 ■説明板・・・
●田虫地蔵(星野村づくり会)
地蔵の信仰は平安末期浄土の世界への誕生を願う貴族の間にひろまり貴族たちや民衆の現生の罪業を一身にひきうけて
六道の辻に立って冥界の苦しみを救う菩薩の姿として
鎌倉時代にこの地区にも入ってきていた。
星野の里の田虫地蔵は左手に宝珠をもち右手に錫杖を持ち千葉の青蓮華に安住しています当時の農民たちは毎朝夕地蔵の前を通るたび田畑の虫「蝗(イナゴ)」の退散と疫病防止子育て縁結びを
祈願した。 |
26.2.2 鹿沼市 医王寺 お地蔵様 |
26.2.2 鹿沼市 録事尊 お地蔵様 |
26.2.2 鹿沼市 録事尊 お地蔵様 |
26.2.28 壬生町七つ石 熊野神社境内
熊野地蔵尊改め氏子子育地蔵尊 |
26.2.28 壬生町稲葉 下馬木 延命地蔵尊
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21.10.3 日光市 文挟 延命地蔵尊 |
30.10.13 塩谷町 持明院 お地蔵様 |
27.4.27 日光市 明智平レストハウス シラカバ地蔵尊
シラカバの木の根元にあった。
昔ケーブルカーの工事の際事故でもあったのか。 |
21.10.18 今市 疱瘡(くさ)地蔵
↓古道 東西に走る鎌倉街道
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18.5.13 東京都浅草寺境内 母子地蔵建立の由来
第二次世界大戦末期、ソ連参戦で混乱状態となった中国東北部(満州)で逃避行の末、命を落とした日本人の数は二十万人を超えると云われています。
酷寒の曠野を逃げ惑ううち母子が生き別れとなったり、飢えや疫病に苦しみながら亡くなるなど、その悲劇は数知れません。
犠牲となられた母子の霊を慰め、また、いまだ再会のかなわない親と子の心のよりどころとして、二度と戦争という過ちを繰り返さない事を祈念しつつ、ここに母子地蔵を建立いたしました。
一九九七年四月十二日
願主 千野誠治
デザイン ちばてつや
文字 森田拳次
まんしゅう地蔵建立委員会
まんしゅう地蔵建立応援団
中国残留孤児援護基金 |
2020.11.27 佐野市 金蔵院 参道の六地蔵様
2020.11.27 佐野市 金蔵院 紅葉参道のお地蔵様
たくさんありました。
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2020.11.22 鹿沼市 千手院 子育地蔵尊
宝暦5年(1755年)造立 |
17.6.13 壬生町 安昌寺 延命子育地蔵尊 |
20.12.4 栃木市岩舟町 高平寺 毛はえ地蔵様 |
21.9.21 佐野市吉水町 延命地蔵尊 |
16.9.1 鹿沼市 下久我 老沢橋 地蔵堂 |
17.2.13 鹿沼市銀座 子育地蔵尊 |
17.4.7 鹿沼市 下大久保 子安地蔵尊 |
17.4.18 鹿沼市 上大久保 地蔵堂 |
17.12.1 鹿沼市 勝願寺の地蔵ケヤキとお地蔵様2体 |
17.9.13 栃木市都賀町 愛宕神社前 お地蔵様 |
18.2.14 鹿沼市 西鹿沼町 北向き地蔵尊 |
18.2.14 鹿沼市 下沢 お地蔵様 頭がないお地蔵様がある。 |
18.2.14 鹿沼市 下沢 お地蔵様 |
18.2.14 鹿沼市 引田 お地蔵様 |
18.2.14 鹿沼市 下沢 お地蔵様 |
18.2.14 鹿沼市 塩山町 お地蔵様 |
18.3.21 鹿沼市 府中町 お地蔵様 |
20.1.26 益子町 正法寺 お地蔵様 |
19.10.2 日光市栗山 日向あたり 子安地蔵堂 |
19.10.2 日光市栗山 唐滝不動尊の中にお地蔵様
唐滝が見える場所にこの不動尊が祀られている。
その堂の中に剣が二本。 |
19.3.26 壬生町 通り町二地蔵尊 |
19.8.29 宇都宮市 桑島町 お地蔵様
子どもを抱いている。鬼怒川が近いしね。 |
19.7.28 宇都宮市徳次郎
■説明板・・・
●痣地蔵尊
由来の説明板には次のようなことが書いてありました。一部判読できないところがありました。
痣(あざ)地蔵尊由来
中徳次郎町本陣某氏が智賀都神社東側田川沿線大道地内の開墾の際に、土中から発見されたもので直ちに智賀都神社南広場に安直したが其の後、文化4年(1794)に本陣入江■■氏に依って元神宮寺と云われた石屋根のお堂に遷座されたといわれている。
此の地蔵は痣地蔵と云われ「あざ」「いぼ」で困っている人が地蔵尊にお願いすると不思議にも治ると云われ近村は勿論のこと遠くは東京・福島・群馬方面からもお参りする人達も多数おりました。
昭和6年頃に念仏講の人達の願いで痣地蔵のお堂が増改築され子供達の習字の場所になったり戦中戦後の一時期疎開の方が入居した事もありました。
転居後は荒廃がひどく地蔵尊本体が用水堀に浸る事もあり昔の本陣に関係のある岩曽町の半田氏祖母の夢枕に出て「今私は下半身が水に浸って困っているので何とかしてほしい」と云うことで荒廃しきったお堂の問題について半田氏から中町町会に相談がありました。
昭和35年に一坪ほどのお堂に建替え安置されました。其の後入江さん宅から中町公民館に移転安置された。昭和59年屋台倉庫の増改築により仮住まいの状況にあったので遠く遷座された時を回想すると霊験あらたかな地蔵尊を遷座安置することが望ましいと云う事で町内皆様方の御厚情と浄財に依り平成6年12月建立す。 |
20.10.25 山形県 山寺(立石寺) お地蔵様 |
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