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◆宇都宮市教育委員会のHP・・・PDFファイルから
■朝日観音霊験(あさひかんのんれいげん)伝承地:宇都宮市本町9-18
宇都宮5代城主頼綱(よりつな)は、武士の生活を捨て法然(ほうねん)に帰依(きえ)して実信房蓮生(じっしんぼうれんしょう)と名のり和歌を友としながら仏の道に精進した。建保(けんぽ)3年(1215)、京都から宇都宮に帰った蓮生は、蓬莱町に閑居するとお堂を建て観音像を安置したという。この観音像は「蓬莱観音」とも呼ばれたがいつしか「朝日観音」とも呼ばれるようになり、宇都宮景綱(かげつな)が東勝寺(とうしょうじ)を建立すると本尊になったといわれている。しかし、東勝寺が廃寺になってしまい観音像は光明寺(本町)に移され現在に及んでいると伝えられている。この「朝日観音」には、霊験あらたかな物語が数多く伝わっているが、ここでは四つの話を紹介する。

1.天授(てんじゅ)6年(1380)、宇都宮11代城主基綱(もとつな)は、茂原(もばら)の地において小山義政の軍と戦い 戦死し、ともの武将上三川城主今泉但馬守(たじまのかみ)は小山勢に捕えられ、顔だけ残して地中に埋められ、さらに髻(もとどり)を固く木の大枝に結びつけられ逃げられないようにされていました。ところが但馬守は日頃から朝日観音を崇敬していたので、一睡もせず仏の加護を祈りました。すると、夜半に但馬守を激励する声が力強く風の音を押し分けるように響いてきました。すると不思議なことに、身体は地中から抜け出し、木の枝に結びつけられた髻は解けていました。そして無事に逃げることができました。

2.江戸時代のなかごろ、馬場町の乾いてしまった鏡ケ池のほとりに、貧しいけれどもとても仲の良い夫婦が住んでいました。この夫婦は、毎朝朝日観音にお参りをすることを日課としていました。長い間、子どものなかった夫婦に、朝日観音の霊験により男の子が授かりました。しかし、出産後、間もなく妻が病気で亡くなってしまったので、子供の父の悲しみは深く、近所の人たちも声もかけられないありさまでした。しかし、信仰心のあつい父親は、朝に夕に、朝日観音に子供が無事に大きく育つようにと祈りました。空腹どきになると、乳を求めて泣くので、近所で半年前に出産した人の乳をもらうことになりました。夜半に、母のぬくもりの恋しさのためか空腹のためかはげしく泣くので、止むなく自分の乳をふくませたところ、不思議にも母親の乳のようになり、子供の空腹を満たすことができました。そして、無事に心のやさしい元気な子どもに育てることができました。

3.
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3〜4は後で時間があれば作成します。
栃木県庁近くのお寺です。「朝日観音」という標柱があります。
なんらかの昔話がありそうです。