医王山 興生寺の由来
当寺の開創は、平安時代の初期大同2年(807)と伝え、その後室町期の文明12年(1480)秀海法印によって中興され、当時壬生の地を領した戦国武将壬生家、とくに三代目綱房公の時代にその外護により寺格が整ったという。
現本堂は元禄年間の再建で、本尊は大日如来、また、瑠璃殿には薬師如来、十二神将、聖観音と六観音を奉安し、下野三十三観音霊場第二十一番札所となっている。江戸時代まで代々壬生城主の祈願所であり、真言宗檀林所の格式を有し、徳川幕府より御朱印寺院として認められた。又、京都醍醐寺より菊の紋章、門跡号の使用を許され、末寺三十二か寺を有した。現在は真言宗智山派に属している。
壬生町観光協会 |