■説明板・・・
●四本龍寺観音堂(県指定文化財)
天平神護2年(766)大谷川を渡った勝道上人一行は、この地に草庵を結び、四本龍寺を建てた。その後、大同2年(807)下野国司、橘利遠(たちばなのとしとお)が千手観音を祀る堂を建立。四間四方(約8メートル)。二社一寺の建造物で唯一の素木造り。明治7年に、金剛童子を合祀をしたので「金剛堂」とも呼ばれる。下野三十三観音巡りの第3番札所。 |
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■説明板・・・
●四本龍寺三重塔(重要文化財)
日光山二十四世座主弁覚が、将軍源実朝の供養のために仁治2年(1241)に東照宮境内付近に建立。その後この地に移された。貞享元年(1684)の大火で焼失、翌年再建されたのが現在の塔である。三間四方(約6メートル)。最下層の蛙股に十二支の彫刻がある。隣接の不動明王と石の護摩壇は日光修験の峰修行の遺跡である。 |
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■説明板・・・
●四本龍寺紫雲石(しほんりゅうじしうんせき)
ここから西南に少し離れた唯心院境内の礼拝石で、勝道上人が、ある日、礼拝をささげた折、この石の辺りから紫の雲が立ちのぼり、男体山の方へたなびくのを見たということから、紫雲石と呼ばれる。そしてこの地を四神守護の霊地として、四本龍寺を建てたという。現在は、観音堂、三重塔のみだが、日光発祥の地であり、奈良、平安時代の日光の中心地であった。 |
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