|
|
●塩谷町の風景 栃木県塩谷郡塩谷町 |
|
|
|
|
|
←チョウゲンボウ生息地 |
|
|
|
5番 |
|
|1清滝寺|2観音寺|3四本龍寺|4如来寺|5佐貫観音|6円満寺|7寺山観音寺|8沢観音寺|9龍泉寺|10岩谷観音|11太平寺|12永徳寺|13西明寺|14慈眼寺|15長命寺|16常珍寺|17善願寺|18能延寺|19光明寺|20茂原観音|21興生寺|22玉塔院|23善応寺|24近龍寺|25如意輪寺|26清水寺|27日向寺|28鑁阿寺|29満願寺|30満照寺|31千手院|32大谷寺|33岩本観音|番外・龍蟠寺|別格・持宝院|
|
622佐貫観音623佐貫観音624佐貫観音625佐貫観音626佐貫観音627佐貫観音
628佐貫観音629佐貫観音630佐貫観音631佐貫観音632佐貫観音 |
24.11.21案内板
佐貫観音自然環境保全地域
自然環境保全地域とは、優れた自然環境を保全するために指定された区域で、特に重要な地域を特別地区に、特別地区以外の区域を普通地区に指定しています。この佐貫観音自然環境保全地域は普通地区に指定されており、次のような行為をする場合は届出が必要です。
@建築物等工作物を新築、改築、増築すること A宅地の造成、土地の開墾等土地の形質を変更するこ B鉱物の掘採や土砂を採取すること C水面の埋立てや干拓をすること D特別地区内の河川、湖沼の水位や水量に増減を及ぼすこと
1.位置:塩谷郡塩谷町大字船生 2.面積:19.80ha 3.指定年月日:昭和48年8月31日
4.自然環境の概要
この地域の岩壁には、今から3億5千万年前のシダ植物の姿を今にとどめているといわれている暖地性のマツバランが見られます。本県では唯一の生息地であり(東日本では北限に位置する)たいへん学術的に貴重な植物です。このほか、イワヒバ、フクロダガヤ、ツメレンゲなども見られます。鳥では、県内でも数少ないチョウゲンボウ(ハヤブサ科の鳥)の繁殖地でもあります。佐貫観音の石仏は高さ63メートルの石英粗面岩に彫られた巨大な大日如来像です。
栃木県矢板森林管理事務所 |
22.11.3
【説明版】観音様の由来・・・
正面の巨大な岩が観音岩で、線刻の首像を観音様と言っているが、実体は大日如来の尊像で宝冠をいただき智拳印を結び八枚の蓮華台にけっかふざのお姿で御丈18m、地上からの総高22m、わが国屈指の磨崖仏である。御作年代は、藤原富正・弘法大師一夜の作、また「大日如来の尊像が衆生を済度するため、ある日こつ然と岩面に示現し給う」と伝えられ、奈良・平安・鎌倉時代初期との説がある。尊容の美しさ、時代の古さ、優れた技法は古代文化を知る上に重要な文化遺産、大正15年2月24日内務省から「史蹟特別記念物」に指定された。上方の扉の中が「奥の院大悲窟」で巡錫往生した、四国讃岐国(香川県)多度郡司藤原富正の御念持仏や佩刀(はいとう・はかし:貴人が帯びる刀)、弘法大師御作の如意輪・馬頭観音の二尊像・中将姫の蓮の曼荼羅・八幡太郎義家・藤原秀郷奉納の太刀・武具類や古鏡など古代の秘宝が蔵されている。
御開帳は62年を周期として、その昔富正について来た5人の従者の子孫によって行われる、寛政6年が第17回、明治12年4月15日が最終の御開帳であった。御開帳は、白布を巻いた太い綱を岩頭よりさばおろし斎戒沐浴した5人中の代表が下からよじのぼって奥の院に達し宝物を取り出して参拝者に拝観結縁させる。決死的業で参集者一同手に汗をにぎり、無事安泰を祈るほどである。第48代順徳天皇の建暦元年(1211)親鸞上人越後御流罪御赦免の折、東国のますらおを教化のため、芳善坊(佐々木盛綱)をお供に常陸国(茨城県)へ向われる途中、しばし留錫された霊場である。別当寺として岩戸山慈眼寺あり、下野三十三観音霊場第五の札所として、春秋の彼岸には、お遍路さんが「ありがたや」のご詠歌を鈴の音と合わせて巡拝した由緒ある古寺、明治初年廃寺になった。観音岩には、暖地性の植物や岸壁自生の植物、またチョウゲンボウの営巣地等生物の秘庫、付近20haと共に自然保護地区で、破壊や採集は禁止である。裏側の杉の植生地内に縄文時代中期を代表する環状列石(ストーンサークル)の大遺構がある。保存上元の通り覆土してあるため、地表には何も認められない。
塩谷町観光協会
・・・案内板の文字がはっきりしていませんが、たぶんこのような内容です。 |
|
大きな岩が観音様かとおもいました。よくよく見ると岩の中間の所にお顔が見えます。この写真でも見えます。現地に行っても、見えない方は、どうやっても見えないそうです。・・・・・・見えましたか?
しかし、いつごろ、だれがどうやって彫ったんだか?・・・・・おもしろいですね。 |
|
|
|
|
|
|