■案内板・・・
●俳聖松尾芭蕉と黒羽(はいせい まつおばしょう と くろばね)
元禄2年(1689)に江戸を発った(たった)俳聖松尾芭蕉は、曽良(そら)とともに「奥の細道}行脚(あんぎゃ)の途中黒羽の地を訪れ、旅程中最も長い14日間逗留(とうりゅう)し、知人や史跡を訪ね、次に向かう「みちのく」の地への準備期間をここで過ごした。宿泊先は、江戸において芭蕉の門人となっていた黒羽藩城代家老浄法寺高勝(くろばねはん じょうだいがろう じょうほうじたかかつ:桃雪(とうせつ))邸とその弟鹿子畑豊明(かのこはたとよあき:翠桃(すいとう))邸であった。桃雪邸は、黒羽城の三の丸にあった。黒羽城は、南北1.5キロ、東西250mという県北最大規模の山城(やまじろ)で、黒羽藩主大関氏の本拠であった。芭蕉は黒羽滞在中、桃雪邸に8泊している。その間、4月5日(陽暦5月23日)には雲厳寺(うんがんじ)へ足をのばし、参禅(さんぜん)の師・仏頂禅師(ぶっちょうぜんじ)の山居(さんきょ)跡を訪れ、4月9日(陽暦5月27日)には、余瀬(よぜ)の光明寺(修験道の寺院、明治初年に廃寺)を訪れた。芭蕉と曽良は、黒羽滞在中に多くの句を詠んでおり、各所に句碑が建てられている。現在でもこの地区の道路は、芭蕉が訪れた当時の面影を深く残しており、往時俳聖が辿った足跡を訪ねることができる地である。 |