■説明板・・・
●宝持山 金剛寿院 伝法寺
奈良朝末期の時代に建立され、真言密教の地方本山として伝えられる。藤原鎌足の七代、良房の実弟良門郷が国司として奥州下向の折、此の地に10日余り滞留し、霊場なりと当院に正八幡宮を勧請し慶城院を別堂した。その後明治2年神仏分離まで約1200年の間、神仏混合にて伝承してきたものである。本尊は秘仏不動明王。住寺(?)125ケ寺の大本寺となる。真言の密法を伝持し特に伝法灌頂(※でんぼうかんじょう:阿闍梨という指導者の位を授ける儀式。)法流(※ほうりゅう:仏教で,教えを伝える系譜。)の末寺に付く。この時始めて、下野三金剛の一称せられるに至る。10万石以上の寺格であった。
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