■説明板・・・
●下侍塚古墳(しもさむらいづかこふん) ▲墳形:前方後円墳 全長:84m▲後方部:幅48m 高さ9.4m▲前方部:幅36m 高さ5m 下侍塚古墳は、那珂川右岸の段丘上に位置する前方後円墳で、那須地方の6基の前方後円墳のなかでは上侍塚古墳に次ぐ規模である。本墳は、元禄5年(1692)、徳川光圀(とくがわみつくに)の命により小口村(馬頭町小口)の庄屋であった大金重貞(おおがねしげさだ)らが上侍塚古墳とともに発掘調査を行っている。鏡・鎧片(よろいへん)・鉄刀片・土師器壺(はじきつぼ)・同高坏(たかつき)・太刀柄頭(たちつかがしら)などが出土したが、これらは、絵図にとるなど調査結果を記録したうえで松板の箱に収め、埋め戻している。さらに墳丘の崩落を防ぐために松を植えるなどの保存整備も行われた。この調査と調査後の遺跡の処置は、日本考古学史上特筆されるものである。昭和50年には土地改良事業にともなう周濠調査が湯津上村教育委員会により行われた。その結果、古墳の規模、周濠の形状や葺石(ふきいし)などが確認され、墳丘から崩落したと考えられる土師器壺などが出土している。古墳の築造は、出土遺物や墳形の特徴などから5世紀初めごろと考えられている。 (国指定史跡 昭和26年6月9日) 栃木県教育委員会 |