▼文化橋町の名前の由来ですが、
▼「少年少女のための鹿沼の町名」 黒川常幸氏発行本によると・・・ ■文化橋町(ぶんかばしちょう)
江戸時代、下府所に斎藤伊兵衛(さいとういへい)という名主(村長のような役の人)がいました。
伊兵衛は田畑をふやすためには、用水路をつくって水をとり入れる必要があると考えました。そこで、御成橋のところから末広町をとおり、蝉ケ渕から、さらに南に流れる新しい水路をつくりました。この工事は数年間かかりましたが、文化年間(1804-1818)にできあがりました。河の名は年号の文化をとって文化河(ぶんかがわ)とよび、河に渡した橋を文化橋とよんだので、のちに、これが町名になりました。河の名は、その後、お盆のときに念仏をとなえながら灯篭流し(とうろうながし)をしたことから、、念仏川(ねんぶつがわ)ともよばれてきました。 |