●板荷
明治二十二年の町村制施行によって、板荷、小来川のニか村にて板来村となりましたが、同二十六年に分村して板荷村となりました。板荷村は古くは深谷郷と称したことは、日光山往古社領六十六郷のうちに「深谷」の郷名がみられます。板荷の地名は西沢、油田に同名の字名がありますが、板荷の地名の由来は、川沿いの木材の集積場につけられたものではないかと思います。
●川化、辺釣
黒川の川沿いに川化(かわばけ)と呼ぶところがあり、これは川のふちにある崖のことで、崖を化の文字を当てたものです。柳田国男の著書「地名の研究」にこの川化のことが述べられています。辺釣(へつり)は絶壁や川岸はどの険阻(けんそ)な道などを呼んでいます。
●大鹿島
鹿島神社のあるところで、この神社によって地名となったもので、社名、寺名などが地名となったものは各地にあります。
●宮内
日枝神社のあるところを宮内と呼んでいます。この神社の境内にある石灯篭に“奉庚申待金剛赤面供養”とあります。庚申塔に青面金剛とあるのが普通ですが、ここでは赤面と彫刻されてありますので、全国でも例がなくまれなものです。
●岩行、赤行
岩行は黒川に近く、赤行は行川沿いにある地名です。行は行川について前述したように、川の岩などに生じた水苔でなめらかなところです。
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板荷 岩行橋下流 |
板荷 岩行橋からの風景 |
板荷 赤行橋上流 |
●羽賀場、今里
羽賀場は、ハガといって小鳥をとったところをいいますが、元来羽賀の意味は崖で芳賀の地名と同一です。今里の今は新しいという意で、今里は新しく出来た集落を呼んだものです。
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