●加蘇
加蘇村は明治二十二年に久我、加園、野尻の村々にて新しい村が出来たものです。村名は古くより加蘇野郷と称し、
同地には加蘇山神社があったので、それ等によって名付けられたものでしょう。
三代実録には、天慶三年(878)九月十日の条に下野山神社が従五位下に任ぜられたこのが誌されており、この神社の歴史は古いことを物語るものです。加蘇の地名は楮(こうぞ)によるもので、楮は古くはかぞうと呼ばれ、現在でも呼んでいる所もあります。荒井川をはじめとし、南摩川、粟野川、粕尾川の流域には古くから楮が自生し、さらには栽培もされて和紙の製造が行われ、粕尾紙の名でこの地方の産物でした。石裂山の加蘇山神社より東方の平地を加蘇野といい、南方の尾根続きにある地域を加蘇尾と称しましたので、加蘇村、粕尾村の名称となったものです。埼玉県にある加須(かぞ)芳賀町大字西高橋字加増(かぞう)などの地名の由来の加蘇と同様と考えられます。
●久我
久我は空閑、古河、古賀などと同意で、空閑地のことです。空閑地とは、農耕が可能ですが未開墾地で、農耕の行われていない所のことです。
現在の久我と加園とは古く加蘇野郷と称していましたが、分郷の際に上郷を久我、下郷を加園と分けたと伝えられています。
●石裂
加蘇山神社の祭神は磐裂、根裂の両神で磐裂を石裂と書き、おざくと呼ばれるようになったものでしょう。
●鶴巻
鶴巻の地名は各所にありますが、その由来は弓弦(ゆみづる)を巻いたような地形に名付けられたものを鶴巻の文字を当てたものです。
この地名の多くは古墳であるといいます。
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