●南摩
南摩村は明治二十二年四月町村制によって、従来の上南摩村、下南摩村、西沢村、油田村、佐目村の五か村によって新しい村となったもので、村名も旧南摩村、南摩郷によったものでしょう。それより先、下南摩村(西沢、油田、新田を含んだ区域)は、西沢、油田、新田に分村されましたが、新田は後に下南摩村と改められました。南摩の由来については明治の頃、「南摩村名義考」、続いて大正の頃には「南摩村名考」が出版されて、この方面の研究が行われたようです。先ず南摩村名義考を要約しますと、南摩の名義は本村を貫流する南摩川によるもので、この川の水は浅く常に水無く、往昔は水無瀬川と呼んだものではないか。従ってこの地方は水無瀬と称し、南摩(ミナマ)と当て字したものが南摩(ナンマ)と呼ぶようになったと論じています。
次に南摩村名考の著者はこれと異なり、南摩村大字上南摩は加蘇村(大字上下久我、加園、野尻)即ち加蘇野と粟野村(大字入、中粟野)との間に介在し、しかも方位石裂より尾鑿よりも大約東南当たる、是南間(みなみま)で、よって南摩の摩は間の古名であると述べています。さて、南摩の本来の意味について考察してみます。百間(もんま)、彦間(ひこま)、閑間(かんま)などの地名と共に共通の意味があるように思われます。間(ま)は沼、池のことですから南摩は沼の名ではないでしょうか。
●堀ノ内
堀ノ内(ほりのうち)と呼ばれる屋敷の多くは周囲に土堤を築き、更にその外側に堀をめぐらして屋敷を囲んでおり、村の旧家をしのばせるものがあります。この屋敷内には田や畑もあったということです。鹿沼市にはここ上南摩のほかに見野、玉田、栃窪、茂呂、上石川、塩山、藤江、酒野谷、下日向、深岩、引田、下大久保などにも堀ノ内という地名が字名として残っています。
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上石川 堀の内の神社 |
下日向 堀の内 |
上南摩町 梶又小学校近く |
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