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鹿沼の地名1 鹿沼 |
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「鹿沼の地名」著者 菊池三郎 昭和58年9月 |
●鹿沼
西には丘陵が連なり、東には北より南に大芦川が流れていたのが、鹿沼の里でありました。この里に萱(かや)の茂った沼があり、この「かや沼」をいつしかかねまと呼ぶようになったものです。鹿沼の文字が見られるのは日光二荒山神社にある灯篭に”鹿沼権三郎教阿”の名が刻まれており、この教阿(のりくま)は佐野氏の流れをくむ鹿沼地方を所領した武将であります。 |
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西茂呂から見た西の丘陵 |
池ノ森 大溜池 |
大芦川 引田橋上流 |
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● 西鹿沼
ここは鹿沼の西にあたり、大きな沼があったという記録があります。現在でも、舟免、舟場の地名が残っており、舟が用いられたことがうかがわれます。 |
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● 花岡
花岡、村井のこの丘陵地帯には、かつて多くの古墳がありましたが、現在は破壊されて見ることはまれになりました。古墳の跡からハニワが出土したので、ハニワ岡と呼ぶようになったものではないでしょうか。しかし、一説には、ここの地形から推して、塙岡(山の端にあるの意味)のことでそれが花岡となったものではないかとも言われています。 |
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花岡町 巨木 |
花岡町 富士山の西の山 |
花岡町 富士山のふもと |
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● 府所
府所には、上府所と下府所との二か村がありました。現在、府所というとこの下府所をさし、三町に分かれており、上府所は下武子の字名の一つとなっています。府所とはフトコロ(懐)のことで暖かい場所を意味します。旧府所城跡(現在の水神山と呼んでいる所)の麓の日当たりの良い地点に名付けられたものでしょう。府所の文字が見い出せるのは、輪王寺文書に苻所郷があり、府所を苻所の文字を用いています。 |
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府所町 狐ケ森稲荷神社前から
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府所町 狐ケ森稲荷神社前から |
下武子町 府所城跡のところ
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● 貝島
川沿いや、原野の中にある田畑を島といいます。川に沿った田畑は縞模様に見えるので、縞を島の文字で表したものです。 |
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