●大門宿
楼門のあった跡を大門と呼んでいます。大門宿の名はそれによったものです。壬生系図に
「壬生綱房、弟左ヱ門尉資長、称弥次郎領大門宿、今云上殿村」とあります。
●金山
金山は金山神社のことで、鍛冶、鋳物師の氏神です。このような地名が残っていることは、
かつてはそのような職に携わった人がいたことが考えられます。
●土堤内、百目鬼
土堤の内(どてのうち)は鹿沼氏の家老の館跡で屋敷の回りに土堤をめぐらしたので土堤の内と呼ばれたものです。
百目鬼(どうめき)は川の水のざわめきを言ったものでざわめきがどうめきと呼ばれるようになったものでしょう。
●五か村堰
黒川の水を上殿の柿内にてせきとめて、ここより用水堀をうがち新堀に水を取り入れて、
上殿、樅山、日光奈良部、塩山、奈佐原の五か村の水田の用水として利用されて来ました。この堰を五か村堰と呼んだものです。
●樅山
樅山の地名は樅の木がある山という意味ですが、ふるくは籾山と書いたようです。その由来は、西山の岩あなに村人たちが、
籾を貯蔵して置いたのが籾山の地名の起こりであるともいいます。
●三ツ家、矢橋
鹿沼を南下して奈佐原の宿までの中間にあるのが、この三ツ家です。ここより西に折れると、巡礼街道の一つである「いづる街道」があります。この地に三軒の茶屋があったので、「みつや」と呼んだものでしょう。亀和田に三ツ谷(みつや)の地名があります。矢橋は谷辻川(やじっか)にかけられた橋の名で、谷橋を矢橋と書いたものでしょう。谷辻川は、谷地を流れる川「谷地川」のことです。
|