▼御成橋町は日光方面に行くとき、何度となく通過している町内です。日光方面、塩谷、矢板、黒磯、那須方面に行く時、この御成橋を渡ることがあります。▼ここは例幣使街道の由緒のある橋(場所)でもあります。現在は御成橋上流に平成橋が架けられました。鹿沼を通って日光方面にいく方々は、この御成橋を渡り旧例幣使街道の雰囲気を楽しみながら向かうほうがいいですね。
▼御成橋町の名前の由来ですが、
▼「少年少女のための鹿沼の町名」 黒川常幸氏発行本によると・・・
御成橋1丁目・御成橋2丁目
徳川将軍が日光東照宮にお参りするとき、今の御成橋よりすこし下流に新しく土橋をかけて黒川を渡りました。いつもは長さ28間(約50m)巾7尺(約2m)の土橋でしたが、この時は、長さ60間(約109m)巾2間(2.7m)のものでした。享保13年(1728)の記録によると、のべ2,611人の人が橋づくりのために働いたといいます。むかし、位の高い人が外出することを「お成り」といったことから、土地の人は、この橋を御成橋とよぶようになり、これが土地の名として残ったといわれています。1丁目と2丁目にわかれたのは、昭和の合併のときです。 |